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1912年1月1日に革命家の孫文を臨時大総統として、中国大陸を中心とする中国を代表する国家として成立した。
同年2月12日には、清朝の皇帝である宣統帝が退位することによって、その後袁世凱が大総統に就任した。その後袁世凱と対立した孫文は1919年に中国国民党を創建し、1921年には後の国民政府の基となる革命政府を広州で樹立したものの、1925年に死去した。
1924年には中国共産党との間で第一次国共合作をおこなったが、南京事件が起こったことで1927年4月に国共合作を解消すると、孫文の後継者となった蒋介石の指揮下で上海や武漢などの各地方で中国共産党員を掃討する運動、いわゆる上海クーデターを起こした。その後国民政府は蒋介石の南京国民政府と、これに反対する汪兆銘等の「武漢国民政府」に分裂するが、間もなく両者は合流、また、北方軍閥の張作霖が日本軍によって爆殺された後、張作霖の息子の張学良が蒋介石の傘下に入る。
その後日本の後援により、愛新覚羅溥儀を執政に立て東北地域に満州国が設立され、さらに1937年に起きた盧溝橋事件を契機として、中華民国は日本との全面戦争状態に入った。これに対抗して日本軍は、国民党の反蒋介石派であった汪兆銘を首班とした新たな国民政府(汪兆銘政権)を樹立することになる。その後日本は、中華民国と友好関係にあったイギリスとアメリカなどとの間に1941年12月に開戦し第二次世界大戦に突入したため、中華民国は連合国の主要国として日本をはじめとした枢軸国と対峙し、戦後は主要戦勝国の1国として国際連合の設立メンバーとなった。
しかし、中国国民党とソビエト連邦が支援する中国共産党との間の内戦において、ヨーロッパにおけるソビエト連邦との間の冷戦や朝鮮半島での緊張に気を取られたアメリカによる支援が減ったことなどにより、1949年頃には支配地域が縮小した。これを受けて、その後蒋介石総統率いる中国国民党政府が首都を南京より連合国軍最高司令官総司令部からの委託に基づき進駐していた台湾島の台北に遷都し、台湾島地域及び金馬地区などのみを統治する国土のほとんどをアメリカ合衆国の暫定占領地区に頼る国家として1950年までに再編成された(なお、日本国が、1952年に権原を含める一切の権利をサンフランシスコ条約(日本国との平和条約)において、放棄するまでの間は台湾島地域は国際法上、日本領土である)。
現在は、議会制民主主義を主体とした共和制国家として、台湾海峡を挟んで中国大陸と接している台湾島・澎湖諸島(台湾省・台湾地区)、および福建省沿岸の金門島・馬祖島(金馬地区)、南シナ海の東沙諸島および南沙諸島の太平島を実効統治している。
冷戦下の1971年に、中ソ対立の中でアメリカ合衆国をはじめとする西側諸国と、ソビエト連邦をはじめとする東側諸国との間で政治的駆け引きが行われた結果、国際連合における「中国の代表権」が中華人民共和国政府に移され、中華民国は国連とその関連機関から追放された。さらに、1972年にアメリカのリチャード・ニクソン大統領が北京を訪問し、中華人民共和国を承認する意向を見せると、日本は中華人民共和国を承認し中華民国と断交。その後1979年にアメリカが最終的に中華人民共和国を「中国の代表権を持つ正統政府」として承認すると、アメリカの影響下にある多数の西側国家がこれに同調した。
しかしながら、1990年代には国民党による一党独裁体制から複数政党制議会制民主主義を主体とした民主主義政体に移り、また、その経済や貿易規模も大きいことなどから、現在日本やアメリカ、イギリスやフランスなどをはじめとする主要国とは形式上国交こそないものの、非政府組織を通じて外交業務を行っているため、事実上の国交があると言える状態にある。また、中華人民共和国の中国共産党政府からの妨害が行われているにもかかわらず、世界貿易機関(WTO)のように、主権国家ではなく、領域を代表するものとして中華民国政府の加盟を認めた国連機関もある。
また、アメリカは中華民国と事実上の同盟関係にあり、中華民国が軍事的脅威にさらされた場合は台湾関係法に基づき、適切な行動を取ることとなっている。実際に、1996年に行われた総統選挙に伴い、中華人民共和国の人民解放軍が選挙への恫喝として軍事演習を強行し、基隆沖海域にミサイルを撃ち込むなどの威嚇行為を行った際には、アメリカ軍はこれに対して台湾海峡に空母打撃群を派遣し、同国のウォーレン・クリストファー国務長官は「アメリカは必要な場合には、台湾を助けるために台湾に近づく」と中華人民共和国に対して警告した。また、2008年3月に行われた総統選挙の際も近海に空母2隻を派遣した。