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中曽根康弘-交友関係について調べるならランキング★モンスターで簡単チェック!!
5.交友関係
ロナルド・レーガン
レーガンとは互いに「ロン」「ヤス」と呼び合うほどの親密な仲を築き、自著の中でも「たぐい稀な人間的魅力」と評している。
1983年1月16日、中曾根がブッシュ副大統領の晩餐会に招待された席上での事、「今回の渡米に同行している次女の美恵子は、小学生だった11歳の時、インディアナ州ミシガンシティのモルト・ウィンスキー氏のお宅にホームスティしたのです。高校時代には互いに1年間、交換留学させました。ウィンスキー家とは20年近い交流が続いてます。今回の渡米に際しても、一家をあげてわざわざワシントンまで駆けつけてくれて、一同抱き合って再会を喜び合ったばかりです。かつて11歳の娘の美恵子をアメリカに送り出すとき、家内と『いつか総理大臣なって渡米する時が来たら、その時は美恵子が通訳をやってくれるといいなあ』と夢見たものですが、その後20数年、政治家として家族とともに幾山河を越え風雪に耐えて、ここワシントンを訪れ、それが今、現実になって感無量です。国と国との関係も、ウィンスキー家と私の家とのように友情と信頼で築き上げたい」この話の途中で中曾根は感情がこみあげ言葉を詰まらせてしまう。これを聞いていたブッシュ副大統領、シュルツ国務長官、ワインバーガー国防長官、ブロック通商部代表、ボールドリッジ商務長官など、並んでいた閣僚がハンカチを取り出して目頭を押さえる一幕があった。翌朝シュルツ国務長官から前夜の話を聞いたレーガン夫妻も目に涙を浮かべたという。
1983年1月17日、ワシントンポスト紙の社主だったキャサリン・グラハム女史の朝食会に招かれ、その席上で「日本は不沈空母である」「日米は運命共同体である」と発言したと、ワシントン・ポストは大きく取り上げた。この会食の翌日にレーガンがホワイトハウスの私的な住居で朝食に招き、その時レーガンから「今後はお互いファーストネームで呼び合おう」と言われたという。
キッシンジャーは「もし政治が可能性の芸術であるならば、レーガンは掛け値なしに一流の芸術家」と発言し、中曾根もこれに同意している。
マーガレット・サッチャー
大英帝国伝統の血を引いた現代宰相で卓抜な能力を備え、強気ながらも一方で女性らしい非常にきめ細やかな繊細さを持っていると中曾根は評した<ref>サッチャーの愛国心はかなりのもので、トルコのダーダネルス海峡に架ける橋の工事を日本企業が請け負った際には、サミットの開会前に中曾根の元に来て、英国の勢力圏の仕事を日本が持っていくのはひどいと抗議している。</ref>。
竹村健一
中曾根は竹村を畏友と評し、竹村とは中曾根がまだ、総理・総裁候補だった頃からの付き合い。その当時から「体の中に国家を持っている」政治家として、竹村は中曾根を敬愛し続けているという。「竹村会」という勉強会の一月の全国大会では、毎年中曾根が基調講演を行っている。
渡邉恒雄
読売新聞会長の渡邉恒雄とは盟友関係にあり、小泉純一郎の推し進めた郵政民営化靖国神社参拝などには異議を唱えた。
田中角栄
永遠の競争相手として認めており、代議士会では論戦に明け暮れた仲。同じ1918年5月生まれでもある。
胡耀邦
『三国志演義』の登場人物のようで、英雄的要素を持ち、度量も視野も広かったと評し、兄弟のような付き合いをした仲だという。
1984年9月、「日中友好二十一世紀委員会」が発足。これは胡耀邦と中曾根が「これからの日中関係は、外交辞令ではなく、本音で話し合えるチャンネルを作っておく必要がある」という意図の元に作られたという。
全斗煥
中曽根首相の就任から間髪を入れない訪韓は、教科書問題が沸騰した直後にという微妙な時期であったが、晩さん会での韓国語でのスピーチや全大統領のカラオケで韓国語の歌を披露するといったパフォーマンスも奏功してか、学生など少数の左翼過激派を除く韓国人一般に好意的に受け止められた。日韓関係はその後、紆余曲折を経ることとなり、全大統領も部下だった盧泰愚が大統領となるや政治力を奪われ、金泳三政権のもとで冷遇された。そうしたなかで中曽根氏が、全氏の来日の際には必ず付き添うなど、過去の盟友に対しての一貫した友情は植民地支配も経験した保守的な韓国人高齢者の間でも好意的に受け止められている。
(出典:Wikipedia)

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