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3.プロフィール
3.5.退任後
1989年にはリクルート事件が直撃。野党は予算審議と引き換えに中曾根の証人喚問を要求したが中曾根はこれを拒否し、竹下政権は竹下自身の不始末も手伝って瓦解した。その後、リクルート事件の責任を取って党を離れるものの復党し1994年の首班指名選挙では村山富市首班に反発し小沢一郎とともに海部俊樹を担ぐが失敗するも党からは貢献度を重視し不処分であった。
鳩山由紀夫が旧民主党を創設した際には「溶けたソフトクリームだ。」と酷評しこれが流行語候補になる等話題を集めた。自身は薩長連合になぞらえて保保連合を一貫として主張した。1996年(平成8年)には小選挙区比例代表並立制導入の際、小選挙区での出馬を他の候補に譲る代わりに比例区での終身一位の保証を受ける。
1997年(平成9年)、叙勲。大勲位菊花大綬章受章。同年、第2次橋本内閣改造内閣で腹心の佐藤孝行の入閣を希望したが、結果佐藤は短期間で辞任に追い込まれ、橋本内閣も支持率急低下で大打撃を受けた。中曽根派が山崎拓率いる近未来政治研究会と分裂した後1999年、亀井静香、平沼赳夫率いる亀井派と合併し志帥会となり、最高顧問に就任。竹下登、宮澤喜一とともに本会議場の通称長老席と呼ばれる最後尾に陣取り三人が居眠りをしている写真が老害の象徴として週刊誌や夕刊紙に取り上げられる事もあった。
(出典:Wikipedia)
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