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3.プロフィール
3.4.総理大臣就任
退任
この年の前半は中曽根にとって最悪の状態となった。選挙中に「導入しない」と宣言していた売上税を導入しようとしたことから「公約違反」と追及されて支持率が一時的に急落。1987年(昭和62年)4月の統一地方選を敗北し翌月に売上税は撤回を表明することになるが、選挙の敗北から18日後に行われた日米首脳会談でも準国賓待遇とは裏腹に下院本会議は貿易相手国に黒字減らしを強要する包括貿易法案を290対137の大差で可決し内需拡大と公定歩合の引き下げによるドル支えを露骨に強要、NBCは「中曽根首相は『特別なあいさつ』を受けた」と皮肉っている。しかし、夏を越すと支持率も復活、同年11月余力を持ったまま退任する。ニューリーダーと呼ばれた竹下登、安倍晋太郎、宮沢喜一のうちから事実上の後継者指名権を得て竹下を後継に指名(中曽根裁定)した。
中曾根自身の回顧によれば、後継候補に必要な条件として、自身が断念した売上税(消費税)の導入について党内をまとめられる人物、当時容態が悪化していた昭和天皇の不慮に備え、「大喪の礼」を滞りなく行える人物、の2件があり、竹下がもっともふさわしいと判断したという。首相在任1806日は歴代6位(戦後4位)、中曾根内閣は3次4年11ヶ月に及ぶ20世紀最後の長期政権となった。
(出典:Wikipedia)