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国鉄80系電車-後期の展開について調べるならランキング★モンスターで簡単チェック!!
3.沿革
3.4.後期の展開

1960年代以降も国鉄電化の伸張に伴って運用線区を拡大し、本州内の国鉄直流電化区間の大半で主に普通列車として広範に運用された。準急列車(及びその後身の短距離急行)の他、1960年代には長距離急行にも用いられた例があるが、接客設備の不備から短期間の運用に終わっている。

この運用線区の広域化の過程では、さまざまな対策が施されている。身延線投入に際してのトンネル断面制約による低い架線高対策としてのモハ80形のパンタグラフ部低屋根化(800・850番台化)改造、同じくトンネル断面制約のある中央西線中津川駅以北)への投入に際して、モハ80形のパンタグラフの低断面トンネル対応形(PS23)への交換、地方線区への転用過程で必須だった短編成化に伴うサロ85形・サハ87形のクハ85形化改造<ref>運転台取り付けによる。元がサロ85のものは格下げを併せて実施。</ref>、さらにはサハ87形のモハ80形への改造などが行われた。また機関車牽引で非電化区間へ直通するためサービス電源用バッテリーを搭載した電源車を連結するというユニークな試みも見られた。これらの改造・改良や試行錯誤は、いずれも後続の新性能電車群の運用計画に大きな影響を与えた。

1977年までは事故廃車もなく全車健在であったが、老朽化や機器整備の合理化の見地から、113・115系の新製投入などによる代替で、段階的に本格的な廃車が開始された。最後まで運用されたのは、東海道本線を追われ1977年から飯田線豊橋口に集結した最終型である300番台車で(これと引き換えに52系およびその編成に唯1両組み込まれていたスカ色のサハ87が引退)、基本4両編成に朝夕は一部モハ80(増結側貫通路閉鎖) - クハ85 100番台を増結するという特徴的な運用が行われていたが、これも1983年にはすべて営業運転を退いている。

なお、大阪市港区弁天町交通科学博物館に、代表形式であるモハ80形とクハ86形それぞれのトップナンバーであるモハ80001とクハ86001の2両<ref>広島地区での山陽・呉線運用を最後に廃車されたが、車両保存に理解のあった当時の関係者の判断で、これら2両は保存先が未決定のまま長期間に渡り、雨ざらしのままではあったものの、柳井駅構内に保管されていた。なおモハ80001は、車籍が残ったままの留置で、80系としては最後の廃車車両となった。</ref>が保存されている。当初は、ヘッドライトなど一部のみ手直ししただけで、現役当時に近い状態での保存であり、クハ86001は、窓枠がアルミサッシのままであったが、後に大規模な復元作業が行われた。但し、一部箇所に復元が不徹底な状態が残っている<ref>これらは新幹線に至る日本の電車発達史上における価値の重要性を認められ、1986年10月14日準鉄道記念物に指定されている。</ref>。80系の保存車はこの2両の他に無く、日本全国の鉄道に湘南形ブームを引き起こした前面2枚窓のグループは、1両も保存されることなく全て解体されている。

(出典:Wikipedia)

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