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通貨はイラク侵攻後のイラク暫定統治機構(CPA)統治下の2003年10月15日から導入されたイラク新ディナール(IQD)。紙幣は、50、250、1000、5000、10000、25000の5種類。アメリカの評論誌Foreign Policyによれば、2007年調査時点で世界で最も価値の低い通貨トップ5の一つ。為替レートは1米ドル=1260新ディナール、1新ディナール=約0.1円。<ref>Foreign Policy:The List: The World’s Worst Currencies GIGAZINE 2007年06月19日 世界で最も価値の低い通貨トップ5</ref>
イラクは長らく、ティグリス・ユーフラテス川の恵みによる農業が国の根幹をなしていた。ところが、1927年にキルクークで発見された石油がこの国の運命を変えた。19世紀末から発明が続いていたガソリン・エンジンは既に実用化され、燃料としての石油の重要性が高まる一方だったからだ。
1921年にはイギリスの委任統治下ながらイラク王国として独立していたため、名目上は石油はイラクのものではあったが、1932年にイラクが独立国となったのちもイギリスは軍を駐留し、採掘権はイギリスBPのもとに留まった。利益はすべてイギリスの収入となり、イラク政府、民間企業には配分されなかった。
第二次世界大戦を経た1950年、石油の需要が大幅に伸びはじめた際、ようやく石油による収入の50%がイラク政府の歳入に加わることが取り決められた。イラクはその後ソ連に接近、南部最大のルメイラ油田がソ連に開発され、ソ連と友好協力条約を結んだ1972年、イラク政府はBP油田の国有化を決定、補償金と引き換えに油田はイラクのものとなった。
1980年に始まったイラン・イラク戦争が拡大するうちに、両国が互いに石油施設を攻撃し合ったため、原油価格の上昇以上に生産量が激減し、衰退した。
1990年のイラクによるクウェート侵攻の名目は石油である。OPECによる生産割当をクウェートが守らず、イラクの国益が損なわれたこと、両国の国境地帯にある油田をクウェートが違法に採掘したこと、というのが理由である。
イラクの原油生産量、単位:万トン (United Nations Statistical Yearbook)
- 1927年 - 4.5(イラクにおける石油の発見)
- 1930年 - 12.1
- 1938年 - 429.8
- 1940年 - 251.4
- 1950年 - 658.4(石油の利益の1/2がイラクに還元)
- 1960年 - 4,746.7
- 1970年 - 7,645.7
- 1972年 - 7,112.5(油田と付帯施設を国有化)
- 1975年 - 11,116.8
- 1986年 - 8265.0(イラン・イラク戦争による被害)
- 1990年 - 10,064.0
- 1993年 - 3,230.0(湾岸戦争による被害)
- 1997年 - 5,650.0
- 2003年 - 19,000.0(イラク戦争終結時)
イラク経済のほとんどは原油の輸出によって賄われている。8年間にわたるイラン・イラク戦争による支出で1980年代には金融危機が発生し、イランの攻撃によって原油産出施設が破壊されたことから、イラク政府は支出を抑え、多額の借金をし、後には返済を遅らせるなどの措置をとった。イラクはこの戦争で少なくとも1000億ドルの経済的損害を被ったとされる。1988年に戦闘が終結すると新しいパイプラインの構築や破壊された施設の復帰などにより原油の輸出は徐々に回復した。
1990年8月、イラクのクウェート侵攻により国際的な経済制裁が加えられ、1991年1月に始まった多国籍軍による戦闘行為(湾岸戦争)で経済活動は大きく衰退した。イラク政府が政策により大規模な軍隊と国内の治安維持部隊に多くの資源を費したことが、この状態に拍車をかけた。
1996年12月に国連の石油と食糧の交換計画実施により経済は改善される。6ヵ月周期の最初の6フェーズではイラクは食料、医薬品およびその他の人道的な物品のみのためにしか原油を輸出できないよう制限されていた。1999年12月、国連安全保障委員会はイラクに交換計画下で人道的要求に見合うだけの原油を輸出することを許可した。現在では原油の輸出はイラン・イラク戦争前の四分の三になっている。医療と健康保険が安定した改善をみせたのにともない、一人あたりの食料輸入量も飛躍的に増大した。しかし一人あたりの生活支出は未だにイラン・イラク戦争前よりも低い。