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2.移民の歴史
2.1.移民の世紀

19世紀のヨーロッパでは、人口の増大や交通機関の発達などにより大規模な人口移動がおこった。各国では人口の都市への集中がみられるいっぽう海外移民も増加した。第一次世界大戦までの100年間に新大陸に渡ったヨーロッパ人は6000万人におよび、19世紀はまさに「移民の世紀」であった。

最大の移民受け入れ国はアメリカであり、その数は1821年から1920年までの100年で約3300万人とされる。その前半には北・西ヨーロッパから、その後半は南・東ヨーロッパからの移民が多くみられ、これは各国の工業化の進展の時期のずれを示している。人口増加や貧困などの経済的な要因だけでなく、迫害を受けたユダヤ人のように政治的な要因からの移民もおこなわれた。18世紀までのヨーロッパからの移民がおもに年季契約のかたちをとった労働移民であったのに対し、19世紀には自由移民が主流となった。また19世紀半ばに黒人奴隷が解放されると中国やインドから労働者を雇い入れ、不足する労働力をおぎなった。

ヨーロッパ諸国のアジア・アフリカ植民地では、植民地経営のために政策的にヨーロッパからの植民がなされた。また、世界的な奴隷制度廃止にともない鉱山や農園(プランテーション)開発や鉄道建設のため、アジアからの労働移民が東南アジアアフリカ大陸にわたった。

東南アジアにおける植民地経営をささえていたのはマレー半島ゴムインドネシアの農業生産などであり、そこで必要とされた労働力は中国南部やインド南部から調達された。かれらの多くは契約労働者であったが、現地に定住する者も少なくなかった。これにともない商業活動に進出する者も増え、これらの中国系移民(華僑)とインド系移民(印僑)は、その後、東南アジア各地で大きな影響力をもつこととなった。

アフリカへの移民としてはインドからが多く、イギリス帝国のもとではイギリス植民地相互の植民もおこなわれた。

なお、アメリカ大陸・オーストラリア南アフリカのアジア系移民は白人労働者と競合したため、黄禍として排斥されたり移民を制限されることもあった。1870年代にはカリフォルニア州で中国人排斥の動きが高まり、1882年には中国人移民禁止法アメリカ合衆国議会で成立した。また、オーストラリアではアジア系移民を認めない白豪主義が採用され、南アフリカではこののち厳しい人種隔離政策・アパルトヘイトが長い間つづいた。

近年はEU統合と加盟国内の旅行が自由となった影響で、東ヨーロッパから西ヨーロッパへの移民が増えている。

(出典:Wikipedia)

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