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干支-干支概略史について調べるならランキング★モンスターで簡単チェック!!
2.種類
2.3.干支概略史

干支はすでに商()代に現れており、殷墟出土の亀甲獣骨からたくさんの干支が日付をあらわすために用いられている。もともと干支は、六十進法による紀日・番号・数字であった。殷代ではこれを「十日十二辰」と呼称していたようである。甲骨文には、干名のみで日を表すあらわすこともあり、祖王の名を「祖甲」「父丁」など、その人に関連する特定の干名で呼ぶ例があることから、十二支よりも十干の方がより基本的であったことが伺える。これについては、「」も併せて参照されたい。

春秋戦国時代に、自然や世界の成り立ちをから説明する五行思想が起こって、上を母、下を子に見立てて「十母十二子」と呼ぶようになった。更に、それを幹と枝に喩えて「十干十二支」、それを縮めて「干支」という表記が定まった時期は、後漢代からである。

月や年を表す為に干支を用いるようになった時期は、殷代よりも後の時代に属する。月に関しては、殷代まで遡る可能性もあるが、広く普及したのは、戦国時代以降である。

年を表すには、古来、著しい事件や帝王即位年を基準とすることが多かったが、戦国時代の中ごろになって木星(歳星)の天における位置によって年を指し示すことが考案された。後述のように、この方法がやがて発達し、当初は木星の位置により、次には十二支により、代には干支の組み合わせによって年を表す例が広く行われるようになった。

1日24時間を十二支に分けるようになった時期も漢代である。十二支に対して十二獣を充当することは代にもみられるが、文献における初出は後漢代からである。また、「外事には剛日を用い、内事には柔日を用いる」<ref>用兵など外事には十干の奇数日、祭祀など内事には十干の偶数日を用いるのが良い、という意味。</ref>とされたのも漢代であり、これは、戦国時代の陰陽家の影響を受けている。

方位への応用も、陰陽五行思想と結びついたことによって漢代に広がった。

ただし、全八巻が「四庫全書」にも収められているの時代に編纂された兵書である「神機制敵太白陰經」 <ref> 一般に流布しているのは10巻本であるが、四庫全書には巻九、十を除いた8巻本が収録されている。 </ref> (李筌編)のうち、巻九「遁甲巻」において、夜半、鶏鳴といった十二時による時刻名とともに、この時刻の干支は云々と記載されているので、時刻を干支で呼ぶ習慣の定着には長い時を要し、唐の時代にはまだ古い記憶の名残があったと推測できる。

(出典:Wikipedia)

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