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アメリカ合衆国コネチカット州のニューヘイヴンに生まれる。家族は1963年にロサンジェルス郊外へ転居した。 兄と同じダウニー高校では、マーチングバンド部に所属。 兄のリチャードが音楽で才能を開花させていた影響を受けて、10代半ばになるとドラムを叩き始める。しかし以前にサックスやフルートをやったが挫折していたので、両親や兄リチャードは続くかどうか半信半疑だったという。しかしカレンはドラムに没頭し、練習を繰り返したという。スペクトラムに始まり、カーペンターズとして活動し始めた当初まで、ドラムとボーカルを担当した。本格的にボーカルのトレーニングを受けにいくと、トレーナーから「あなたには、何も教えるものはない。」と言われたことから、彼女には歌手としての天性の素質があった。その後、カーペンターズとしての活動が活発になり、ステージに立つことが多くなったこともあり、リチャードの意向を受けてヴォーカル専門に活動するようになった。カーペンターズはカリフォルニア州を中心として、世界的に活動した。
子供が大好きで、彼女自身、子供のような無邪気さと純粋さを持っていて周囲の人から好かれていた。だが、自らの体型については太りすぎという固定観念を持っており、やがて精神的な病となっていった。1974年、3度目の来日時に、兄リチャードと共に和服姿の写真を撮影、翌年発売されたライブアルバム「CARPENTERS LIVE IN JAPAN」 に付録としてその写真が添付され、カレンによると、この頃が最高に太っていたと言う。(1987年にCDとして発売された物には、その写真はない。)
カレンはいつの頃からか摂食障害(拒食症)に悩まされるようになる(音楽誌にFat Sister「太っちょカレン」と書かれた事が原因の一説として囁かれている)。後のセラピーの過程で親子関係が背景にあると見られている。このため、1975年に予定されていた日本公演が、中止となった。当時の招聘先である、キョードーのコメントは「神経性食意不振症」によるものであった。
リチャードが睡眠薬依存症のリハビリを行っていた1980年にソロ活動を行うが、曲が公開されるのは、カレンの死後となる(体が弱っていたことや、成熟味を持ちすぎている<ref>歌い方が成熟しているという意味ではなく数曲の歌詞の内容が大人っぽすぎるという意味</ref>という意見から当時は兄や会社側から反対があり、最終的にカレン自身が発表を断念した<ref>カレンはこのアルバムの制作に際しニューヨークへ単身渡り、超一流のスタッフ達を使い、予算オーバー分の数千万円の私費も投じて79年5月から当初の予定の倍の約1年を掛けて完成させた。力を注ぎ込んでいただけに悩みぬいた末の発売中止だった。発売中止に際し「(カーペンターズの活動が優先なので)ソロはどうでも良かった」と当時は発言をしていたが、実際はお蔵入りになったことにとまどい消え入りそうな様子だった。リチャードは「心情的には出させてあげたかったよ。あれだけ一生懸命やったんだし」と発言している</ref>)。アルバムは『カレン・カーペンター』(日本でのタイトル「遠い初恋」)として1996年にリリースされた<ref>リリースの経緯・・・1995年のテレビドラマ「未成年」(野島伸司脚本)の主題歌・挿入歌・エンディングテーマ曲にカーペンターズの曲が使われたことから日本でカーペンターズを知らない若い世代を中心に大ブームが起き、日本のレコード会社にカーペンターズの新譜やツアーの問い合わせが相次いだことを知ったA&Mレーベルが、新旧のファンの為にリリースを決めた(出典・・・ライナーノーツの小倉ゆう子氏の解説から)</ref>。
1980年、若手実業家のトム・バリスと結婚をするも、翌年暮れには破綻。離婚同意書にサインする直前(約束の6時間ほど前)に彼女が死去したため、現在も既婚のままとなっている。
1983年2月4日早朝、両親の家で意識不明になっているところを発見され、同日死去した。32歳の若さだった。死因は急性心不全。長期の闘病生活が心臓に負担をかけていたと思われる。なお、映画「カレン・カーペンター・ストーリー」によれば、晩年は過食症と拒食症の症状が繰り返し起こっており、死去前日は食欲が少し出てきたところで翌日亡くなった事になっている。彼女の死は社会に衝撃を与え、拒食症などの摂食障害が社会的に認知されるきっかけとなった。
カレンの遺体はカリフォルニア州オレンジ郡のForest Lawn-Cypressに埋葬されていたが、2003年末に兄リチャードの自宅に近いロサンゼルス郡のPierce Brothers Valley Oaks Memorial Parkに移転された。