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1950年代までは客車による長大編成が組まれた。しかし、1960年代以降、速達化を計る観点から、昼行列車から使用車種を電車・気動車へ変更してゆく事となった。
この初例としては、運用の効率化を図った登場時の151系電車を用いた「こだま号」の編成がある。詳細はこちらを参照されたいが、これは、簡易食堂「ビュフェ」付き三等車と二等車を編成中央に組み込んで8両編成で運用するものであったが、速達化・快適性の向上がなされたため、在来特急列車の電車化を行う際には、運用の効率化よりも在来編成との摺り合わせがなされたため、10 - 12両で運用された。
しかし、利用者が少ないとされた線区での使用が予想されたキハ82系気動車では食堂車と一等車(→グリーン車)を各1両備えた6両編成を基本とした編成が基本とされた。
電車でも二等車(→普通車)の両数の差があるものの、編成が短くなり、おおむね8~12両程度で運用される従来のものから大きく変容するようになる。
その初例として、1976年(昭和51年)に設定された佐世保線エル特急「みどり」では485系電車新製車両では最も短い4両編成で運用される事例がみられるようになった。ただし、「みどり」の事例は「かもめ」と併結運転を行う多層建て列車として運行する関係もあり、線路容量が小さい路線での措置として異例とされた。
本格的な短編成化として知られるようになったのは、高速バスとの競争が激しくなった鹿児島本線エル特急「有明」である。この列車群では、車種統一を図った1984年(昭和59年)以降改造車両を用い1本あたりの編成組成を短くする代わりに本数を増発する手法を採ったため、1986年(昭和61年)には「3両編成を組んだ特急」が運行されるようになった。
- 但し、電車による短編成化には運用上の限界があり、2両編成の電車特急列車は1990年(平成2年)登場の札幌駅 → 旭川駅間運行の臨時特急「モーニングエクスプレス」があったものの、1994年(平成4年)には使用車両であるJR北海道785系電車所定の4両編成に戻され、以降電車での短編成運行は485系・JR東日本253系電車・JR東海373系電車による3両編成が最小になる。
しかし、気動車ではキハ82系気動車の編成を元に設計したキハ181系気動車・キハ183系気動車では「大出力エンジンを積む」や「寒冷地仕様のため先頭車両は非貫通」とした事もあり、例えばキハ181系気動車は2両で運行することは可能であるが、「トイレがない」・「座席数が少ない」という問題もあった。
そこで、同年に運用を開始したキハ185系気動車は2両編成で運用可能とした設計とした。実際にJR四国は高徳線のエル特急「うずしお」の運用開始時に運用を実施した。なお、同車両は2008年現在2 - 3両の短編成で運用される事が多く、当初よりの所有会社であるJR四国では主に徳島県内の特急列車群で、一部はJR九州が購入し久大本線・豊肥本線を運行する特急列車群で運用されている。
なお、キハ185系気動車以降では「急行形気動車の置き換え」ないしは「地域輸送の高速化」という観点から、西日本旅客鉄道(JR西日本)では2両固定編成での運用を前提としたJR西日本キハ187系気動車を新製した。
客車については定員が少ない寝台車を中心にして運行されたこともあるため、A寝台・食堂車・電源車を込みで10 - 15両程度の長大編成を組んでいたが、14系客車ではサービス電力を高出力ながら乗客を乗せない専用の電源車ではなく、編成の端に連結する緩急車より供給する関係で6両程度で組成をすることとなり、その編成単位の組み合わせで運行されるようになった。
しかし、1980年代以降、長期的な夜行列車・寝台列車の凋落傾向から必ずしも10両程度の需要がないことから、廃止直前の「彗星」の様に開放式B寝台車のみの4両編成で運行された列車も存在した。また、「富士」・「はやぶさ」は、運行末期である2005年より2009年の廃止までは門司駅以降のJR九州管内での編成が6両で運行し、東京駅 - 門司駅間ではそれを2編成組み合わせた12両で運行されていた。
2009年現在、最短とされる「北陸」ではA寝台連結で8両編成で編成されており、他方、「北斗星」・「トワイライトエクスプレス」・「カシオペア」では終着駅である札幌駅のホーム最大有効長に合わせた12両編成となっている。