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5.経過
5.5.東部戦線
ロシア革命
戦争が長期化するにつれて、ロシア政府の戦争指導に対し、兵士と民衆の不満が増大した。皇帝ニコライ2世は積極的に前線を視察したが内政不安についての現状認識が欠けたままであり、皇后アレクサンドラは政治を怪僧グリゴリー・ラスプーチンに一任したため、更に無能だった。こうして各方面から抗議が巻き起こり、1916年末に保守的な貴族によりラスプーチンが暗殺される事態に至る。
1917年3月、首都ペトログラード(現在のサンクトペテルブルク)で起こったデモが拡大し、ニコライ2世は遂に退位を宣言、中道派臨時政府が成立した。だが戦線と国内の両方で手の付けられない大混乱が続いた。ウラジーミル・レーニンが指導する急進的な左翼ボリシェヴィキ党は、こうした混乱を権力を獲得するために戦略的に使用した。10月24日、ボリシェヴィキは武力行動を開始。ペトログラードの要所を制圧し、臨時政府を打倒した。
12月、ボリシェヴィキ政府は中央同盟国との休戦交渉を開始した、初めボリシェヴィキ政府はヨーロッパの労働者の蜂起を当てにして中央同盟国が出した条件を拒絶した。そうしている間に、1918年2月にボリシェヴィキと対立していたウクライナ人民共和国が中央同盟国と結び、中央同盟軍が戦争を再開、瞬く間に全ウクライナを奪回した。窮地に立たされたボリシェヴィキ政府は3月3日にブレスト=リトフスク条約に同意した。それは戦争を終結させる代わりに、中央同盟国へフィンランド、バルト地方、ポーランドおよびウクライナを含む広大な領土を割譲するという厳しい内容だった。
(出典:Wikipedia)
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