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第一次世界大戦-セルビアの敗北とテッサロニキ戦線の形成について調べるならランキング★モンスターで簡単チェック!!
5.経過
5.5.東部戦線
セルビアの敗北とテッサロニキ戦線の形成

セルビアは1914年8月から12月における3回のオーストリア軍の侵攻を防いでいた。1915年9月、ブルガリアが中央同盟国側に立った参戦を確約したことで、中央同盟国はセルビアへの攻勢を計画した。10月、ドイツ軍がドナウ川を渡河しベオグラードに突入、ブルガリア軍が南部国境を突破した。セルビア軍と国王はアルバニアギリシアへの逃亡を余儀なくされた。

セルビア軍の敗北の末、英仏軍はテッサロニキへ上陸してセルビア軍を支援するとともに、ギリシア政府に対して連合国側に立って参戦するよう圧力を掛けた。特にフランス軍はギリシャの中立を無視し、ギリシャのコールフ島を占拠して、新たに戦線を開げた。これはテッサロニキ戦線と呼ばれていた。1915年から1918年にかけて、イギリス、フランスおよびロシアとセルビアの残軍はこのところでブルガリアと対峙していた。1917年4月~6月、イギリス軍はブルガリアに対する攻撃に失敗したものの、ギリシャが連合国側に立って参戦し、連合国側が有利となった。

1918年、連合軍の総攻撃に伴い、兵力が足りないドイツ軍は連合軍に降伏した。既に戦争遂行能力に問題のあったブルガリアでは国内で反乱が起き、民衆の間で戦争をやめる掛け声が高まりつつあった。停戦が宣言されるまで反乱は止まらなかった。敗戦後の混乱で、当時ブルガリア王であったフェルディナンド1世は英仏の圧力を受け、退位しなければならなかった。

(出典:Wikipedia)

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