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第一次世界大戦-イタリア戦線について調べるならランキング★モンスターで簡単チェック!!
5.経過
5.4.イタリア戦線

イタリアは名目上は1882年からドイツおよびオーストリアと三国同盟を締結していたが、いわゆる「未回収のイタリア」と呼ばれた南チロルイストリアダルマチアといったオーストリアとの領土問題を抱えており、仏伊通商条約を理由に局外中立を宣言していた。しかし1915年4月にイギリス・フランスの働きかけによりロンドン協定に調印し三国同盟を離脱、オーストリアへ宣戦布告した。

伊墺国境の山岳地帯という地形的有利を得たオーストリア軍に対し、貧弱な装備しか持たないイタリア軍は苦戦を強いられた。単調な作戦ばかりのルイージ・カドルナの指揮の拙さも手伝い、戦術的勝利を重ねながら決定的な勝利を得る事ができないでいたイタリア陸軍だったが、第四次イゾンツォの戦いでオーストリア軍に打撃を与えた(この時、オーストリア軍はドイツ軍に救援を要請している)のに続き、アジアーゴ攻勢の頓挫やブルシーロフ攻勢の大敗によって弱体化していたオーストリア軍を破ってゴリツィアを占領した。イタリア軍の攻勢は既に崩壊しつつあったオーストリア軍を確実に追い詰めていき、第十一次イゾンツォの戦いでバインジッツァ高地を占領した。

しかし1917年秋、友軍の危機を救う必要があったドイツ軍は東部戦線の状態が一段落ついたこともあり、オーストリア軍に突撃歩兵を含む援軍を派遣した。指揮権もオーストリア軍からドイツ軍へと移され、10月26日にドイツ軍指揮官オットー・フォン・ベロウはロシアのブルシーロフ攻勢を模倣した浸透戦術を用いて、イタリア陸軍に大打撃を与えた(カポレットの戦い)。これにより12マイル後方のタリアメント川に下がったイタリア軍は、新たな指揮官アルマンド・ディアズと英仏の支援の元に戦線を建て直し、勢い付いたオーストリア軍をピアーヴェ川の戦いで破って進軍を押しとどめた。ディアズはヴィットリオ・ヴェネトの戦いでオーストリア軍との戦いに決着を付ける。

カポレットの戦いの後、連合国側はイタリアのラパッロで会談した。其処でそれまでの個別の戦争指導を改め、ヴェルサイユに連合国最高会議を設立して各国の状況を考慮しながら統一された戦争計画を推進する事を決めた。

(出典:Wikipedia)

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