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1988年、亡くなったデニスをはじめとして、マイク、カールもソロアルバムを発表済みだったが、とうとうブライアンがソロアルバム『ブライアン・ウイルソン』を発表する。このアルバムは精神分析医ユージン・ランディの強い影響下で作られたものであった。ブライアンの才能が発揮された佳作で、一部で熱狂的に迎えられたものの、一般に大きな反響をもたらすものではなかった。皮肉なことに、同年ブライアン以外のメンバーがビーチ・ボーイズ名義で発表した映画『カクテル』の挿入歌「ココモ」が22年ぶりの全米No.1を獲得する大ヒットとなる(ブライアンはレコーディングに誘われていたがスケジュールが合わずに不参加。その後、この曲のスペイン語バージョンのレコーディングに参加した)。なお海外ドラマ・フルハウスの中でブライアンは久々にメンバーと共演し「ココモ」を披露している(「ビーチボーイズがやって来た!」の回)。また、この年グループは「ロックの殿堂」入りを果たす。なお、後に「ボーカルグループの殿堂」(1998年)入りも果たしている。
その後もメンバー同士で、さまざまな理由で互いに訴訟合戦を繰り広げながら、音楽上の交流は若干ながら続いていた。しかし、バンドとしてのビーチ・ボーイズにとって最大の悲劇が起こる。演奏面での実質的なリーダーだったカール・ウィルソンが肺癌で1998年2月6日に死去したのだ。これで、ブライアンを除くメンバー間に残っていた結束も失われてしまった。 マイク・ラヴとブルース・ジョンストンは、ブライアンの承認を得て「ザ・ビーチ・ボーイズ」の名前を引き継ぎ、主にライヴを中心に精力的に活動するようになった。 アル・ジャーディンは、ブライアンの娘たちや、自分の息子などとともに「アラン・ジャーディン・ファミリー&フレンズ」というバンドを結成し、他のメンバーとは離れていった。 ユージン・ランディの影響から脱したブライアンのソロ活動も徐々に軌道に乗りはじめた。彼を尊敬するワンダーミンツやジェフリー・フォスケットなどのミュージシャンによるサポートを受けて、ザ・ビーチボーイズ時代の作品や、当時レコーディングに失敗した多くの作品にふたたび命を与えるライブをおこなっている。
事実上3派に分裂し、別々に活動してきた1998年以降も、現存するビーチ・ボーイズの3人のオリジナル・メンバーは、今なおブラザー・レコードの共同経営者であることに変わりはなく、過去の音源や映像のリリースに関する発言権や決定権を有している。また、各メンバーのツアー開催地や開催日程がバッティングしないよう、各メンバーの代理人、時にはメンバー本人間のミーティングは続けられた。ブライアンやアルにとって、正式に脱退してしまうと、相対的に現在ビーチ・ボーイズの名義を使用しているマイクの発言権が最も大きくなってしまう。そのためにビーチ・ボーイズからの正式な脱退や、正式な解散は得策ではないと判断していた模様である。