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1970年の『サンフラワー』でキャピトルレコードを離れ、ワーナーブラザース傘下のリプリーズに移籍する。また、本格的にで自分たちのレーベルであるブラザーレコード名義で作品を発表するようになる。続いて1971年の『サーフズ・アップ』がリリースされた。そのタイトル・トラック「サーフズ・アップ」はカルト・ソングライター、ヴァン・ダイク・パークスとの共作で、元々は『スマイル』に収録される曲であったがブライアンの思った通りのボーカルが録音できず、カールが代わってリードボーカルを務めた。このように『スマイル』が頓挫してから以後に発表されたほとんどのアルバムには、分散する形で、『スマイル』収録予定曲の別バージョンが収録されている。
1970年代を通してブライアンの活動は低調で、1973年の『オランダ』も複雑な評価を得た。ブライアンは1976年にツアーに復帰したが、彼の精神病は1990年代まで問題のままだった。ただし、ブライアン不在の中、他のメンバーは精力的にツアーを続け、ライブバンドとしての地位を確立していく。また、ブライアンの穴を埋めるために、メンバーが作った楽曲の中には佳作、名作もありビーチボーイズが決してブライアン一人の才能によって成り立っていたわけではないことを示す結果となった。
しかし、1983年12月28日、ウイルソン三人兄弟の次男であるデニスが事故死する。泥酔状態でクルーザーから水中に飛び込み溺死したのである。当時、それぞれがソロアルバムを出すなど、すでに分裂の危機にあった彼らは、デニスの死をきっかけに、一時的に以前の結束を取り戻すかのように見えた。
1985年7月13日に行なわれたライヴ・エイドに出演。亡くなったデニス以外のメンバー5人(ブルース、カール、マイク、アル、ブライアン)がフィラデルフィア・JFKスタジアムに集結し、「カリフォルニア・ガールズ」「ヘルプ・ミー・ロンダ」「素敵じゃないか」「グッド・ヴァイブレーション」「サーフィンU.S.A.」を披露した。これにより残された5人での活動に大きな期待が寄せられたのだが、同年リリースされたアルバム『ザ・ビーチ・ボーイズ』以後、ブライアンはマイクとの共作をやめ、精神面での主治医ユージン・ランディの誘導により、ソロ活動に重きを置くようになっていった。