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3.歴史
3.5.明治維新から終戦まで
慶応4年(明治元年、1868年)3月、甲府城へ入った新政府の板垣退助率いる甲州街道軍と、近藤勇率いる旧幕府軍の甲陽鎮撫隊(新選組)が勝沼(甲州市の一部)大善寺で激突。旧幕府軍は駆逐され、甲州鎮撫府が設置された。
同年10月19日(旧暦9月4日)、甲斐国内に府中県(県庁所在地は山梨郡甲府)、市川県、石和県が設置され、12月11日(旧暦10月28日)にこれら3県を統合して甲斐府が設置された。明治2年(1869年)8月27日(旧暦7月20日)、「府」の呼称が京都府・東京府・大阪府に限定されたことから、甲斐府は甲府県と改称した。
明治3年(1870年)5月に田安領を併合し、明治4年(1871年)8月29日(旧暦7月14日)の廃藩置県後も甲府県は存続したが、同年10月末(旧暦)に始まる全国的な府県再編により、旧韮山代官所を引き継いだ韮山県の甲斐国内管轄区域などを統合して12月31日(旧暦11月20日)に甲斐国全域を管轄区域とする山梨県が発足した。県庁所在地は引き続き山梨郡甲府、初代県令には土肥実匡が任ぜられた。明治6年(1873年)に着任した藤村紫朗の殖産興業政策により、製糸業の勧業や道路整備、金融機関の整備が行われた。特に青梅街道の改築など道路整備を推し進めたことから、藤村は「道路県令」とも呼ばれている。
明治42年(1909年)には甲府連隊(歩兵第49連隊)が設置された。第二次大戦中には疎開地でもあったが、昭和20年(1945年)7月には、甲府空襲によって甲府は灰燼と帰した。
(出典:Wikipedia)
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