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3.歴史
3.3.中世

平安時代後期の源頼朝の挙兵に従い、甲斐源氏の棟梁となった武田氏甲斐国の守護となる。中世には必ずしも甲斐守護を歴任していないが、鎌倉幕府滅亡後に北条時行ら北条氏の残党が起こした中先代の乱までは北条方に属し、南北朝時代には建武政権から離反した足利尊氏に従った。

室町時代には幕府と鎌倉府の対立、鎌倉府における鎌倉公方関東管領の対立など関東地方の騒乱の影響を受け、上杉禅秀の乱では守護武田氏が乱に荷担し追討を受け甲斐は守護不在状況となり、反守護勢力の逸見氏が活動し国内は混乱した。室町後期には幕府の意向で武田氏の守護復帰のため入甲した跡部氏が台頭するが、守護武田信昌は跡部氏を排斥し、国内統一を勧めた。

戦国時代にも国内の争乱や隣国との抗争は続いたが、武田信虎は国中地方の有力国人勢力や郡内領主の小山田氏など従属させ、抗争を続けていた駿河の今川氏や相模の後北条氏とも和睦する。また、新たに甲府を拠点とした城下町整備を進め、国内統一を完成した。戦国期には武田氏による一円支配が行われているが、郡内の小山田氏や河内地方を領する穴山氏などの国衆はそれぞれ独自の支配を行っている。

武田晴信(信玄)は信虎後期の拡大志向を継承し、甲相駿三国同盟を背景に信濃侵攻を行い越後の上杉謙信と川中島合戦を繰り広げ、後期には西上野侵攻や今川領国への侵攻(駿河侵攻)を行い最大領国を達成し、三河・遠江への侵攻も行い織田・徳川勢力と対抗した。また、信玄期に確立した大名権力により独自の領国支配が展開され、検地の実施や棟別諸役の整備、躑躅ヶ崎館を中心とする甲府の城下町整備、黒川金山湯之奥金山など近世まで稼働した甲州金山の開発、信玄堤の築造など治水事業が行われている。

勝頼期には長篠の戦いによる武田領国の動揺を招き、天正10年(1582年)3月、織田信長の武田攻めで武田氏は滅亡した。武田遺領は織田家家臣に分配され、甲斐は河尻秀隆の領土となった。同年6月に信長が横死し、空白地帯となった武田遺領を巡って徳川氏と後北条氏による天正壬午の乱が起こり、甲斐国は徳川家康の領土となった。家康は家臣の平岩親吉に命じて甲府城築城に着手し、以来江戸時代に至るまで甲斐の支配拠点となる。

家康は豊臣秀吉に帰服し、天正18年(1590年)には駿府から江戸に移封され、甲斐国には浅野長政ら豊臣系大名が入った。豊臣政権下で甲斐は東国の家康に対する拠点として重視され、検地などが行われた。

(出典:Wikipedia)

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