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死刑存廃問題-誤判の可能性について調べるならランキング★モンスターで簡単チェック!!
4.死刑存廃問題の議論
4.4.存廃論の論点に対する議論
誤判の可能性
日本において最も主張される死刑廃止の論拠として誤判の可能性、すなわち冤罪による死刑の可能性が上げられる。もっとも刑罰は冤罪であった場合、拘禁されていた時間や経済的利益を失われることには変わりないが、死刑の場合、生命を絶たれたことで取り返しのつかない結果となる。また人間の限界である寿命を無視しているとの指摘もある。
日本において、死刑の次に重い罪が絶対的終身刑でなく相対的終身刑である理由は、冤罪を恐れてのことであるとの指摘もある。実際に死刑判決後に再審で無罪になった四大死刑冤罪事件(免田事件松山事件島田事件財田川事件)があった他、帝銀事件名張毒ぶどう酒事件袴田事件などは現在でも死刑囚の冤罪ではないかとの指摘がなされている。また藤本事件では死刑執行から40年以上経過した2005年になって国の検証会議が「到底、憲法の要求を満たした裁判であったとはいえまい」として不正裁判による誤判であったと指摘している<ref>ハンセン病問題に関する検証会議 最終報告書・「藤本事件の真相」(PDF)</ref>。
死刑適用を忌諱する理由のひとつとして、捜査機関による違法捜査によって有罪で処刑された場合、たとえ冤罪が明らかになっても取り返しがつかないことも上げられている。1940年代後半から1960年代にかけて静岡県内では、再審で死刑判決が破棄された島田事件のほか、上級審で死刑破棄・無罪になった幸浦事件小島事件二俣事件といった冤罪事件が多発した。ほかにも現在も冤罪の可能性が指摘されている袴田事件もすべて静岡県であり、全国的にみても冤罪が多発している。この背景には静岡県警紅林麻雄警部(1908年-1963年、本人は発覚直後に病死したため県警本部長表彰はされたが、刑事責任には問われていない)が拷問による尋問、自白の強要によって得られた供述調書の作成によって「事件解決」を図ったためであり、また「自白」に沿った証拠品の捏造まで行ったことが明らかになっている。この手法が同県警内部でこのような捜査手法がもてはやされ、他の警察署でも行われたのが冤罪多発の一因だといわれている。なお、現在ではこのような捜査手法は判例違法収集証拠排除法則が確立しており、たとえ真相を把握できたとしても違法な捜査手法で獲得したならば証拠能力を認めないとされているが、思い込みによる捜査ミスによる冤罪の発生は完全には否定できないといわれている。
実際に21世紀に入っても死刑求刑にたいし証拠不十分で無罪になった北方事件や、死刑適用事件ではないが、被告人が抗弁をあきらめて有罪になりかかった宇和島事件や服役後に真犯人が判明した富山連続婦女暴行冤罪事件が発生しており、科学的捜査手法が発達した現在も人が犯罪捜査を行う以上、このような冤罪事件は散発的に発生しており、冤罪による死刑執行の危険性は完全に否定できないといえる。
また冤罪ではないにしても裁判の事実認定に誤りがあったために、主犯が処刑を免れ従犯を処刑にした誤判が実際にあった。1946年奈良県内で発生した強盗殺人事件では「主犯」とされた者が処刑されたが、懲役刑で服役した「従犯」が1958年に実業家として成功していた本当の主犯を恐喝して逮捕されたために、ただの見張りを主犯にでっち上げていた真相が発覚した実例<ref>村野薫「戦後死刑囚列伝」宝島社刊、103頁</ref>などがあるという。古谷惣吉連続殺人事件では、最初の2件の強盗殺人では共犯を「主犯」と誤判して死刑が執行され、「従犯」と誤認した古谷が出所後に8人も殺害した事件があった。古谷がこの事件で逮捕起訴<ref>これは古谷が偽名で他の刑務所に服役していた為である。なお、どのように抗弁したかは不明であるが、死人に口なしの幸いが自己の責任を軽くしたため、死刑相当の犯行であるにもかかわらず比較的軽微な刑事処分となっている。</ref>されたのは「主犯」処刑後であり、懲役10年の刑期出所後の一ヶ月で8人も殺害していた。そのため「主犯」と誤判された者の死刑が執行されずに本当の事実関係が明らかになっていれば、後の8人が殺害されることも防げたはずだと批判された。また1946年に発生した福岡事件では殺害された中国人被害者の関係者による傍聴人の存在が事実認定に影響を与え、犯行現場にいなかった第三者を主犯として処刑にしたとの批判も現在も根強くある。
現実問題として、前述の藤本事件で司法当局が死刑執行をした事に対し、当時の中垣國男法務大臣が中曽根康弘ら国会議員による助命運動や再審請願を完全に無視して処刑した事<ref>刑事訴訟法は再審請願中に死刑にしても違法ではないとしているが、慣習的に避けられるべきとされている。</ref>に対し国会で責任を追及され弁明しなければならなかったこともあり、冤罪(傷害致死だとして事実誤認を理由にする場合もある)の疑いがあるとして再審請求している死刑囚の死刑執行<ref>明らかに死刑執行の引き伸ばしを図っている場合には、再審棄却直後ないし申請中に死刑執行が行われる場合も少なくはない。</ref>が避けられる傾向にある。
刑事訴訟法の475条は「確定から6カ月以内に法務大臣が死刑の執行を命令し」とあるため、死刑執行は死刑判決確定後6ヶ月以内に執り行わなければならないのに現実は違うとの批判もあるが、実際には法務当局が死刑執行命令の検討を慎重に行っている為であるとされる。また同法475条2項但し書に「上訴権回復若しくは再審の請求、非常上告又は恩赦の出願若しくは申出がされその手続が終了するまでの期間及び共同被告人であつた者に対する判決が確定するまでの期間は、これをその期間に算入しない。」とあり、再審請求中もしくは恩赦出願中または共犯が逃亡中の死刑囚は、死刑執行までの半年間に算入しないとの規定があるため、執行が猶予される傾向にある。
2000年ごろまで原則的には死刑確定順に死刑が執行されていたが、組織犯罪では共犯者が逃亡中や未確定である事例(連合赤軍事件三菱重工爆破事件)や冤罪を訴えて再審請求中の者、もしくは闘病中の者は除外され、事実関係に争いが無く死刑判決を受け入れ支援者もなく外部との連絡もない「模範死刑囚」が先に執行が行われているとい指摘がある<ref>別冊宝島「死刑囚最後の1時間」8頁</ref>。実際に現在も東京拘置所の収監されている死刑囚の著書<ref>澤地和夫 『東京拘置所 死刑囚物語―獄中20年と死刑囚の仲間たち』 彩流社、2006年 </ref>によれば、1983年に練馬一家5人殺害事件で1996年11月に死刑が確定した死刑囚は、拘置所側から「自身のため」と説得され、支援者への面会を一切拒否するようになり、看守に対して丁寧かつ謙虚な態度で接していたという。早期の死刑執行を望んだ為か、はたまた死刑回避を望んだ為かは今となってはわからないが、確定5年後の2001年12月に死刑執行が行われた。なお、この著者は仲間と一緒に1984年に3人を残虐な手口で殺害した元警察官であり、1993年に上告を取り下げて死刑が確定したが、前述の練馬の元死刑囚よりも早く死刑が確定していながら、2008年現在も死刑執行されておらず<ref>別冊宝島によれば、上告を取り下げて死刑を確定させたほうが結果的に死刑が先送りになるという法則を実践している向きがあるとしているほか、共犯も死刑判決を受けているため、2人同時の処刑が必要な為との指摘もある。</ref>、何冊かの著作物を出版しているほどである。そのため、法務省の次の死刑執行対象者の選定基準に公開されていない基準があるといわれている。なお死刑執行が行われない場合には事実上の仮釈放のない終身刑となり獄死した死刑囚も少なくない。
なお、死刑執行後に冤罪が明らかになった場合、刑事補償法第3条第3項は被執行者遺族に対して3,000万円以内の補償を行うと規定しており、さらに本人の死亡で財産上の損失が生じた場合と認められる場合には「損失額+3,000万円」以内の額とされているが、この金額は犯罪被害者遺族に支払われる金額と同じである。
(出典:Wikipedia)

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