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3.死刑に対する思想の歴史
3.2.死刑廃止論の系譜
- 死刑廃止論の系譜は、トマス・モアの著作『ユートピア』(1516年)から始まり、ルソーの影響を受けたイタリアの啓蒙思想家かつ近代刑法学の祖とも称されるイタリアのチェーザレ・ベッカリーアは、生命に対する権利までを主権者に預託してはいけないという主張をしはじめ、当時の専制的かつ教典に基づいた刑罰制度を激しく非難していた。1764年に発表した著作『犯罪と刑罰』は、啓蒙時代の刑事法学を論じたものであったが、その第16章で、刑罰制度を社会契約説に求めた結果「死刑のごときは、そもそも社会契約の本来的趣旨に反する」と主張<ref>三原憲三『死刑存廃論の系譜』成文堂 85頁</ref>した。このなかで「生命は、あらゆる人間の利益の中で最大のものであり、国民があらかじめ放棄することは、あり得ない」として、少なくとも国家が正常な状態(すなわち平時)においては死刑を廃止すべきであると主張した。
- ベッカリーアは刑罰の威嚇力は重さよりも、その長さによって発揮するとして、死刑は終身の自由刑に劣り、また死刑は残酷な行為の手本となるもので社会的に有害であると論じて<ref>立石二六『刑法概論』成文社 2004年 345-346頁</ref>、死刑廃止論の先駆的な役割を果たした『犯罪と刑罰』は、翻訳され瞬く間にヨーロッパ中に広まり、多大な影響を与えた。
- ベッカリーアの思想を最初に実現したのは、トスカーナ地方の専制君主レオポルド1世(後の神聖ローマ皇帝レオポルト2世)である<ref>三原憲三『死刑存廃論の系譜』成文堂 88頁</ref>。彼はベッカリーアの著作が発表された翌年の1765年に即位したと同時に死刑の執行を停止し、1786年には完全には死刑を廃止した。このことを記念するイベントが、現在では毎年11月30日(シティズ・フォー・ライフの日)に、世界約573都市で開かれている。
- ベッカリーアの他にも、この時代にはディドロー『自然の法典』(1755年)、ゾンネンフェルス(1764年、論文において)、トマソ・ナタレ『刑罰の効果及び必要に関する政策的研究』(1759年執筆、1772年公刊)等が死刑の廃止を主張している。
- このような動きは、応報刑では犯罪を抑止することができないという考えから、ドイツではフランツ・フォン・リストとその弟子達が、目的刑という新しい刑法の体系を生み出し、それが近代学派(新派)となった。応報刑の旧派と目的刑の新派の対立は現代まで続いているが、目的刑を取る刑法学者は通常は死刑廃止を主張している。
- キリスト教的な立場からは、19世紀初頭にフリードリヒ・シュライアマハー(シュライアーマッハー)が、20世紀にはカール・バルトといった神学者たちが国家の役割を限定するという立場から死刑廃止を主張した。
(出典:Wikipedia)
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