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自衛隊イラク派遣-サマーワの反応について調べるならランキング★モンスターで簡単チェック!!
3.サマーワの反応

第1次イラク復興業務支援隊の佐藤正久1佐は、到着直後から積極的に地元首長など有力者と接見し、自衛隊の活動への理解を求め、住民側はこれを快く受け入れた。これは当初、自衛隊が派遣されることにより、雇用問題などが劇的に解決される事が期待されていたことから、サマーワの住民に強く支持されていたものである(住民が横断幕に「日本の皆さんようこそ」とアラビア語で記したが、翻訳を頼まれた日本人ジャーナリストが「自衛隊の皆さんようこそ」と意訳したことが、日本国内の一部メディアに批判された。しかし、住民も「日本の軍」が来ることは承知していたし、実際にサマーワへ行くのは自衛隊であるので、日本人=自衛隊でも問題があったわけではない。)。佐藤1佐が帰還する際、有力者に率いられた住民が宿営地前でデモをして、これが当初、自衛隊に反対するデモと見られたが、実際は日章旗を振りながら佐藤1佐に感謝するデモであった。

自衛隊では地元住民と融和する為、スーパーうぐいす嬢作戦を行っている。これは選挙活動のうぐいす嬢を捩ったもので、車両で移動する際に市民を見かけたら、自衛隊員から手を振るようにしたものである。この作戦の成果は絶大で、自衛隊の車両が通るときには子供達が自分から手を振るようになった。また、車列を組む為に車道に進入する際は、地元の車両に対して機銃等ではなく、手を使って合図を送るなどの気遣いがなされた。

しかし、自衛隊の主要任務は水道病院施設などのインフラストラクチャー整備による復興を計画していたので、直接的な雇用の回復などを期待していたサマーワの住民と自衛隊との思惑の齟齬でサマーワ市内で自衛隊撤退を求めるデモが起こるが、その数日後には、治安の悪化や劇的ではないにしろ助けにはなっていると、自衛隊の活動を支持するデモも行われる(ただし、同じ人物が両方のデモに参加していたりと、住民に強い意志があったというより、有力者に煽動されていたり、その時の気分で参加するなどの面が多々あるようだ)。

また、迫撃砲ロケット弾による宿営地攻撃が13回にわたって発生したが、奇跡的に死傷者は出なかった。サマーワは地方都市であるため、首長間や住民同士の付き合いが濃密で、市外からのテロリスト・武装勢力が侵入しにくい点が、専守防衛に徹しなければならない為にテロを阻止することができない自衛隊の救いになっている。首長の1人は「自衛隊に手を出したものは一族郎党皆殺しにする」と公言し、サマーワ住民が自衛隊を守っている面が多々ある(当初、日本の一部メディアは「自衛隊はオランダ軍に守られている」という論調で報道したが、オランダはムサンナ州全域を警備しているのであって、自衛隊もその影響下にあるとはいえ、宿営地を守っているのは自衛隊の警備要員であり、豪軍に変わっても同じである。)。

2005年(平成17)1月19日に陸上自衛隊をイラクのサマーワに派遣してちょうど1年を迎えるにあたって、同年1月上旬に地元紙アッサマワが現地のムサンナ州の住民1000人を対象アンケート調査が行われた。その調査によると、日本国政府の陸上自衛隊派遣延長についての支持が78%、不支持は13%であることが明らかになった。また、自衛隊の活動に対して不満と答えた人は約3割おり、その主な理由を「事業が小規模」とあげた人が半数近く上るなど、大規模な都市整備などの活動が望まれている。自衛隊の望ましい駐留期間も、「1年」と「1年以上」で約70%以上を占め、2004年の調査の結果とほぼ変化はなかった。

オランダ国軍が2005年(平成17)3月でイラク派遣(ムサンナ州の警備)を終了する旨を表明。当初、撤退の後には米軍か英軍が進駐すると思われ、その際にはこれらを狙う武装勢力も侵入する恐れがあり、自衛隊の安全が保たれるか不安の声が上がった。また武装勢力によってサマーワの治安が悪化することも考えられたが、オランダを引き継いでムサンナ州入りしたのは、米軍よりは評判のよいオーストラリア軍と英軍であり、混乱は起こらなかった。

しかし、2005年(平成17)5月末から6月にかけて、自衛隊への投石、日章旗落書き、手製爆弾攻撃(負傷者なし)が一時的に発生した。このため急遽、任務が終わった給水要員の一部を転用して警備要員を増やし、宿営地外での活動を3時間から1時間に削減するなどの対応をとった。用件を1時間以内で終わらせて宿営地へ帰還する自衛隊に対し、市民からは「自衛隊は市民を怖がっている」「自衛隊は隠れているだけ」といった批判も聞こえるようになった。

これらの事件の背景には、自衛隊の活動内容と一部の地元首長や住民の要望に乖離があったためと見られるが、日本はサマーワに対して資金的な援助(道路・橋梁・学校・病院の建設や修繕にかかわる援助と円借款)も行っており、この資金の分配(主に地域別の建設や修繕の優先順位)を巡って首長間の意見対立が起こり、一連の事件の要因になっているとも言われる。事件後に陸上自衛隊がサマーワ市長に苦言を告げたところ、このような行動は一切無くなった。また自衛隊では、これらの事件のたびに各首長と面談し、自衛隊の活動に理解を求めると共に、自衛隊の活動停止をカードとして、首長や住民代表と慎重な調整を行っており、サマーワの平穏をもたらしてきた。

日本政府は2006年(平成18)6月に自衛隊の撤収を命令した。これを受け、共同通信社がサマーワ市民に、自衛隊の活動に対する評価アンケートを行ったところ、78.7パーセントが復興支援に「満足している」と答えた。一方、「自衛隊は占領軍である」と答えた住民は12.4パーセントで、過去4回の調査で初めて1割を超えた。

撤収発表と前後して、サマーワ市内や郊外で爆発や市幹部の暗殺が発生した。イラクのほかの地域より安定しているとされてきたサマーワも、治安の悪化が問題となっている。

(出典:Wikipedia)

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