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2.経緯
2.3.2005年(平成17年)
- 1月4日 イラク復興業務支援隊第3次要員に建設工事の専門家として防衛施設庁職員の2人が文民として派遣されることが明らかに。
- 1月8日 イラク復興業務支援隊第3次要員110人のうち約90人が出発。
- 1月10日 英国のフーン国防相は英軍400人を増派する方針を議会に報告。
- 1月12日 防衛庁は現地時間11日、陸自の宿営地内に初めて信管付きロケット弾が着弾したことを発表。けが人はなし。
- 1月17日 オランダ政府は閣議で軍部隊約1400人を予定通り3月15日に全面撤退させることを確認。
- 1月18日 航空自衛隊第5期派遣部隊(約100人)出発。
- 1月22日 航空自衛隊第4期派遣隊の後期部隊(約100人)帰国。
- 1月27日 大野防衛庁長官は、治安悪化、オランダ軍撤退に備え、給水要員を減らし警備要員を増やすことを発表。
- 英国のフーン国防相はサマーワに英軍部隊600人(220人は本国から新しく)を派遣し、治安維持にあたると発表。
- 2月1日 陸上自衛隊第3期イラク派遣部隊の第2陣全員帰国。
- 2月12日 陸上自衛隊第5期イラク派遣部隊の第2陣(約200人)出発。
- 2月20日 陸上自衛隊第5期イラク派遣部隊の第3陣(約110人)出発。
- 陸上自衛隊第4期イラク派遣部隊の第1陣(約120人)帰国。
- 2月22日 オーストラリア政府のハワード首相がイラク南部の兵員を増大することを決定。日本の要請によると発表。
- 3月5日 陸上自衛隊第4期イラク派遣部隊の帰国第3陣(約140人)が帰国。
- 4月25日 オーストラリア軍の先遣隊(43人)がサマーワに到着。
- 5月1日 オーストラリア軍本隊第1陣(約450人)がイラク南部の治安維持活動のため、サマーワに入り始める。
- 5月7日 陸上自衛隊第6期イラク派遣部隊(陸上自衛隊第3師団)の第1陣(約200人)出発。
- 5月25日 サマーワで、日本の自衛隊に反発する一部の住民らから投石される。
- 6月 サマーワ市内で落書きされた日章旗が張られたり、「自衛隊出て行け」といった張り紙が数度にわたって見つかる。
- 6月23日 自衛隊の車列が仕掛け爆弾で攻撃され、高機動車1両のフロントガラスにひびが入る。けが人は無し。
- 6月25日 陸上自衛隊第4次復興業務支援隊(約100人)が出発。
- 9月28日 陸上自衛隊の撤収に関して検討に入ったことを、複数の政府筋が明らかにした。英豪軍が翌年5月撤収の検討に入ったため。
- 9月29日 日米英豪4カ国ロンドンで外務・防衛担当者会談(~10月3日)。英豪軍がイラクに正式政府が発足する翌年前半に撤収することの検討を開始したことを確認。
- 11月6日 陸上自衛隊第8次隊第3波の隊員約110人(うち女性10人)が熊本空港から出発した。クウェートでの訓練を経て、サマーワに入る。これで熊本、宮崎、鹿児島各県の部隊を中心に編成された8次隊の出国が完了した。
- 11月6日 サマーワ市内の公園で大きな爆発音が1回した。破壊力の弱い音響爆弾とみられ、負傷者はなかった。同公園は陸上自衛隊が復興支援で補修工事をした公共施設のひとつ。
- 12月3日 額賀福志郎防衛庁長官がクウェートとイラクを訪問。部隊を視察する。
- 12月4日 改修工事を終えた養護施設の竣工式を外で警備していた隊員が、反米指導者ムクタダー・サドル派の民兵組織マハディ軍のメンバーら約50~100名のデモ隊に取り囲まれる。デモ隊は武器は持っていなかったが、投石により軽装甲機動車のサイドミラーが破損。隊員は軽装甲機動車内に退避し無事。
- 12月8日 イラク特措法の1年再延長を閣議決定。合わせて英豪軍と同時の翌年前半に撤収することも検討。
- 12月15日 14日のブッシュ大統領「開戦情報誤り」発言を受け、小泉首相「イラクが大量破壊兵器がないことを証明しなかった為だ」として、開戦を改めて支持。
(出典:Wikipedia)
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