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古称は「フル」、「カナン」という。パレスチナの語源はペリシテ人の土地という意味で、紀元前13世紀頃にペリシテ人が住みついたことに由来する。ただしペリシテ人は民族としてはその後間もなく歴史から消滅し、その後は紀元前10世紀ごろにイスラエル民族によるイスラエル王国がエルサレムを中心都市として繁栄した。
イスラエル王国崩壊後には、三大陸の結節点に位置するその軍事上と改名した。ローマとしては、幾度も反乱を繰り返すユダヤ民族の痕跡を完全に抹消するため、それより千年も昔に消滅したペリシテ民族の名を引用したのである。この地がパレスチナと呼ばれるようになったのはこれ以降である。
7世紀にはイスラム帝国の支配下に入り、シリアを支配する勢力とエジプトを支配する勢力の間で帰属がしばしば変わった。11世紀にはヨーロッパから十字軍が到来し、エルサレム王国が建国されるが、12世紀末にはアイユーブ朝のサラーフッディーンに奪還され、パレスチナの大半はエジプトを支配する王朝の支配下に入った。16世紀になると、エジプトのマムルーク朝を滅ぼしたオスマン帝国がパレスチナの新しい支配者となる。
19世紀以降、ヨーロッパで次々に国民国家が成立し、各地で民族の自己認識が促されると、ヨーロッパにおいてマイノリティーとして排除されてきたユダヤ人が新天地を求めてオスマン帝国領のパレスチナに入植し始めた。彼ら入植ユダヤ人は1948年にイスラエルの建国を勝ち取るが、このために多くのパレスチナ人が難民化してパレスチナ問題が発生。中東の火薬庫となる。
イスラエル政府とパレスチナ勢力のパレスチナ解放機構は長い闘争の末、1993年になってオスロ合意を結び、1994年からパレスチナの一部でパレスチナ解放機構が主導する暫定自治が開始された。しかし、オスロ合意で定められたパレスチナ問題の包括的解決に向けた話し合いは頓挫し、さらにイスラエルとの和平に合意しない非パレスチナ解放機構系の組織によるテロや軍事行動が続いた。2000年以降、再びイスラエルとパレスチナの闘争が再燃し、和平交渉が事実上の停止状態にある。
一方、パレスチナ側は、停戦に応じても、イスラエルが一方的に攻撃を続けていると指摘。実情は、「停戦とはパレスチナ側だけに課せられたもの」となっていると主張している(「停戦」中のはずのパレスチナの一週間)。たとえば、2001年、イスラエルのシャロン首相はパレスチナとの交渉停止を通告し、アラファートPLO議長を軟禁。再開に「7日間の平穏」とさらに「6週間の冷却期間」を要求した。しかし、平穏が達成されたかどうかは、イスラエル側が判断するとした。パレスチナ側の停戦は37日間続いたが、シャロン首相は「始まってもいない」として、この間一方的にパレスチナへの攻撃を続けた。ハマースが反撃したため、なし崩し的に停戦は消えてしまった。
アラファートの死後、アッバースが後継者となった。2005年2月8日、2000年10月以来4年4ヶ月ぶりにシャロン首相は首脳会談に応じた。両者の暴力停止(停戦)が合意されたが、交渉再開は停戦継続を条件としている。現在でも双方の攻撃が完全に収まったわけではなく、困難が予想される。