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1.歴史
1.3.近代から現代
- 1798年-1878年 - セルビアに住むセファルディム系の宗教的指導者ラビ・イェフダー・アルカライが聖地での贖罪を前提とした帰還を唱える。
- 1856年 - 医者であり作家でもあるルートヴィヒ・フォン・フランクルが聖地巡礼。エルサレム・ユダヤ人学校(Lämel Schule)を設立。
- 1881年 - 古代ヘブライ語を復活させたエリエゼル・ベン・イェフダーがイスラエルの地に帰還、ヘブライ語の復興・普及運動を開始。この頃、パレスチナに47万人のアラブ人がいた。
- 1882年 - 第一次アリヤー(ヘブライ語で「上がる」こと、シオン(エルサレム)への帰還の意) - 東ヨーロッパからの大規模な帰還
- 1897年 - 第1回シオニスト会議:後にイスラエル国歌となるハティクヴァがシオニズム讃歌となる。
- 1901年 - 第5回シオニスト会議:シオニズムとは国家か、文化か、宗教復興か、何を優先するか鋭い対立の後、ヘブライ大学の創設を可決。
- 1902年 - ヘブライ語を話す家庭はわずかに10人。
- 1904年 - 第二次アリヤー:ベン・イェフダーへの賛同者が増え、ヘブライ語で授業を行う学校が増えていく。
- 1909年 - ルーマニアからの移民がテル・アビーブ建設。
- 1917年
- 1920年2月8日 - 英国軍需相ウィンストン・チャーチル、「Illustrated Sunday Herald」紙でユダヤ人国家支持を表明。
- 1923年 - イギリス、ゴラン高原をフランス委任統治領(シリアの一部)として割譲。
- 1925年
- ユダヤ・アラブ・ワーキンググループ「平和の契約 brīth šālôm」設立(ゲルショム・ショーレム、ユダ・マグネス、フーゴ・ベルクマン、エルンスト・ジーモン、ダヴィド・ベングリオンら参与)。
- 4月1日 - ヘブライ大学開校式。
- 1929年
- 1931年 - 第17回シオニスト会議:ダヴィド・ベングリオン、二つ以上の民族が、どちらが支配権を得るのでもない二民族共存国家構想を支持。
- 1937年
- 英国政府、ユダヤ人地区とアラブ人地区の分割を提案するが、アラブ側は拒否。
- ユダヤ教宗教哲学者マルティン・ブーバーが「アラブ・ユダヤ和解協力連盟」設立(後に「イフード運動」が分立)。
- 1946年
- パレスチナにはパレスチナ人が130万人、ユダヤ人が70万人居住。
- ユダヤ人物理学者アルベルト・アインシュタイン、国連によるパレスチナの統治を提唱。
- 「アラブ・ユダヤ民族国家」建国を提唱していたパレスチナ人のシオニズム支持団体「新しいパレスチナ」代表、ファウズィー・ダルウィーシュ・フサイニーが暗殺される。この団体はイフードに共鳴し、「ユダヤ人とアラブ人が、ともに植民地主義と闘う」ことを表明していた。
- 1946年7月7日 - エルサレムで、キング・デイヴィド・ホテル爆破事件(ユダヤ勢力による英国へのテロ)発生。
- 1948年
- 2月23日 - エルサレムで、アラブ人テロリストの爆弾テロにより、55名のユダヤ人が殺害される。
- 3月4日 - アタロトで、アラブ人が16人のユダヤ人を待ち伏せ攻撃し、虐殺。
- 4月8日 - デイル・ヤシーン事件:シオニスト武装集団によりアラブ人の村民250人以上が虐殺される。
- 教授・職員70人以上が殺害される。
- 5月12日 - クファール・エツィオンで、アラブ側により100人のユダヤ人が殺害される。
- 5月14日 - イスラエル国として独立宣言。ベングリオンが初代首相となる。
- 第一次中東戦争。国連決議より広範囲の土地をイスラエルが占領。
- 9月 - ユダヤ人過激派により国連調停官ベルナドッテ伯暗殺。
- 1949年5月11日 - 国際連合に加盟。
- 1956年 - 第二次中東戦争。エジプトのナセル大統領のスエズ運河国有化宣言に対応して、英・仏・イスラエル連合軍がスエズ運河に侵攻。米・ソの仲介により三国は撤退。
- 1967年 - 第三次中東戦争(六日間戦争)。エジプトのナセル大統領による紅海のティラン海峡封鎖が引き金となり、イスラエルが「先制攻撃」を実施。エジプトからシナイ半島とガザ地区を、同戦争に参戦したシリアからゴラン高原を、ヨルダンから東エルサレムとヨルダン川西岸全域を奪取。六日間でイスラエルの圧倒的勝利に終わる。
- 1972年 - ミュンヘンオリンピック事件。旧西ドイツでミュンヘンオリンピック開催中に、パレスチナ武装組織「黒い九月」がイスラエル選手村を襲撃、選手・コーチを人質に収監パレスチナ人の解放を要求。最終的に選手・コーチ11人が死亡した。報復としてイスラエルはパレスチナゲリラの基地を空爆、さらに黒い九月メンバーの暗殺作戦(神の怒り作戦)を実行したと言われている。
- 1973年 - 第四次中東戦争(ヨム・キプール戦争)。エジプトのサダト大統領がシナイ半島奪還を目的としてユダヤ教の祝日「大贖罪の日(ヨム・キプール)」にイスラエル軍に攻撃を開始。イスラエル軍の不敗神話が崩壊する。その後、アリエル・シャロン将軍が復帰、スエズ渡河作戦を実行。形勢は逆転し、17日で停戦に至る。
- 1976年 - エンテベ人質救出作戦。一部のパレスチナ過激派がエールフランス機をハイジャック、ユダヤ人またはイスラエル人以外を解放し、ウガンダのエンテベ空港に着陸。同国のアミン大統領の庇護のもと膠着状態が続くが、イスラエルのラビン首相は特殊部隊を派遣し、人質奪回とハイジャッカーの全員射殺に成功。その際にイスラエルの実行部隊で唯一戦死したヨナタン・ネタニヤフ中佐の名前をとり、この作戦は「オペレーション・ヨナタン」と名づけられた。なお、ヨナタンはベンヤミン(ビビ)・ネタニヤフ元首相の実兄であり、同氏の対パレスチナ強硬姿勢の原点になったといわれている。
- 1977年 - サダト大統領のエルサレム訪問。これまで仇敵であったエジプトのサダト大統領がエルサレム訪問を宣言し、クネセット(イスラエル国会議事堂)で演説を行う。二年後の平和条約締結の第一歩となる。
- 1979年 - イスラエル・エジプト平和条約締結。イスラエルが占領していたシナイ半島の返還に合意し、米国のカーター大統領の仲介のもと、キャンプ・デーヴィッドにてエジプトのサダト大統領とイスラエルのベギン首相が調印。イスラエルにとって初のアラブの隣国との平和条約となる。
- 1981年 - イラク原子炉爆撃事件。かねてからフランスからの技術協力を得て原爆の開発を進めていたイラクのフセイン大統領(当時)の野望を阻止するため、イスラエル空軍はバグダッド郊外のオシラクで建設中だった原子炉を爆撃。
- 1982年 - レバノン侵攻(ガリラヤ平和作戦)。レバノン南部からのパレスチナ人によるイスラエル北部へのテロ攻撃を鎮圧し、レバノン国内の少数派キリスト教徒保護と親イスラエル政権の樹立、平和条約締結を目指すという目的で、レバノン侵攻を開始。アリエル・シャロン国防相に率いられたイスラエル軍は首都 ベイルートに入城。PLOのアラファト議長の追放に成功する。しかし、イスラエルの同盟軍であるマロン派キリスト教徒が、シリアによるリーダーのバシル・ジュマイル大統領暗殺に憤激し、パレスチナ人難民の居住区であったサブラ・シャティーラ・キャンプに侵入し、虐殺事件を引き起こす。アリエル・シャロン国防相は「虐殺を傍観した不作為の罪」を問われ、国防相を辞任。また、「キリスト教徒による親イスラエル政権の樹立、平和条約の締結」もならず、イスラエルにとっては後味の悪い結果に終わる。
- 1991年 - 湾岸戦争が発生し、テル・アヴィヴを標的としたイラクによるスカッドミサイルの攻撃を受ける。
- 1992年 - 米国の主導により、マドリッド会議開催。PLOとの顔合わせの機会となる。
- 1993年 - オスロ協定成立。PLOによるヨルダン川西岸及びガザ地区の自治が始まる。
- 1995年 - ユダヤ人過激派によりラビン首相が射殺される。
- 2006年 - イスラム武装組織ヒズボラ鎮圧を目的にレバノンに再侵攻(レバノン侵攻)。
- 2008年 - 12月27日、パレスチナ自治区ガザ地区のハマースに対し空爆、翌年1月3日、地上侵攻を開始(ガザ侵攻 (2009年))。
(出典:Wikipedia)
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