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麻原彰晃-経歴について調べるならランキング★モンスターで簡単チェック!!
1.経歴

麻原こと松本智津夫は、1955年3月2日熊本県八代市高植本町(旧・八代郡金剛村)の職人の家庭に生まれた。

週刊文春2000年新年合併号によれば、「松本の祖父は熊本県出身の警官で、戦前に朝鮮半島に渡り、その地で警察署長を務めた後、終戦後、熊本に引き揚げた」という。週刊現代1995年5月27日号「麻原オウム真理教と統一協会を結ぶ点と線」記事中で「父親は、在日朝鮮人である」と栗本慎一郎が主張しているが、オウム真理教大辞典(東京キララ社)の『麻原彰晃』の項によれば「本人による『在日』発言があるという『噂』があったため、『在日説』が浮上したが、これはデマである」と『在日説』を否定している。また、高山文彦は『麻原彰晃の誕生』で、「松本家は朝鮮半島の出自ではなく、朝鮮から引き揚げてきた日本人」との親族の言葉を紹介している。

視覚障害者隻眼)であるために、6歳から20歳までを寄宿制の熊本県立盲学校で過ごし、鍼灸術を学ぶ(智津夫の長兄の証言によると、この視覚障害は水俣病による被害の結果だったという<ref>藤原新也『黄泉の犬』pp.71-80(文藝春秋2006年)</ref>。ただし智津夫は水俣病患者としての公的認定を受けていない)。同校を卒業後、東京大学文科1類受験を目指し、1977年4月代々木ゼミナール渋谷校(現在は無い)に入学したが、受験に失敗する。

1976年7月、知人を殴打し、傷害罪罰金刑を受ける。1977年頃から仙道やヨガの修行を始める。 1978年、代々木ゼミナール渋谷校で知り合った妻、松本知子結婚し、千葉県船橋市で鍼灸院「松本鍼灸院」を開業。のちに「亜細亜堂」と名前を改め診察室兼漢方薬局の経営に転じたが、1980年に保険料の不正請求が発覚し、670万円の返還を要求される。その後、新興宗教団体阿含宗に入信する。

1981年、健康薬品販売店「BMA薬局」を開局したものの、1982年に無許可の医薬品を製造販売したため薬事法違反で逮捕され、20万円の罰金刑を受ける。

1984年東京都渋谷区にヨガ道場「オウムの会」を結成し、株式会社オウムを設立。松本は「麻原彰晃」と名乗り始める。 1986年ヒマラヤで最終解脱と称す。同年、「オウムの会」を「オウム神仙の会」と改称。1987年、さらに「オウム神仙の会」を「オウム真理教」に改称する。空中浮遊などのショー的なアピールで徐々に信者を獲得していく。

1990年2月の衆議院議員選挙では、真理党代表として東京4区から出馬したが落選。

1995年5月16日山梨県上九一色村(現・富士河口湖町)のオウム真理教の教団施設で地下鉄サリン事件松本サリン事件など、一連のオウム真理教事件の首謀者として逮捕された。麻原は現金960万円の札束と寝袋を抱えて、第6サティアンの南側入り口1階から2階への階段天井部分に造られた隠し部屋に隠れていた。逮捕された際は失禁していたと伝えられている。

最終的には13事件で殺人罪など7つの罪に問われる。1996年4月24日東京地方裁判所で初公判が行われたが、僅か48席の一般傍聴席に対して、12,292人という、日本の刑事裁判史上最も多い傍聴希望者が東京地裁前に殺到した(この数字は2007年現在でも破られていない)。弁護側は「事件は村井元幹部を中心とした、弟子たちの暴走によるもので、松本自身は一切指示をしていない」と無罪を主張した。しかし2004年2月27日、東京地裁は「救済の名の下に日本を支配して、自らその王になることを空想し、それを現実化する過程で一連の事件を起こした」と認定し、死刑判決を言い渡した。

2006年9月15日最高裁判所特別抗告を棄却し、1審通り松本への死刑判決が確定した。

(出典:Wikipedia)

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