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日本航空インターナショナル-1980年代について調べるならランキング★モンスターで簡単チェック!!
1.歴史
1.6.1980年代

1980年代に入り、好調な日本経済の状況により円高が進んだことや、国際線における競争が激化したことに伴い、航空運賃が下がったことなどから日本人の海外渡航が飛躍的に増加した。これに対応してボーイング747の最新型である-300(SUD)と同-300SRの追加発注を相次いで行い、ボーイング747の世界最大のカスタマーとなった。

また、1980年9月には日本の航空会社としては初めてのビジネスクラス「エグゼクティブクラス」の導入を行った他、1983年7月にはボーイング747-200LR「エグゼクティブ・エクスプレス」により、これまではパンアメリカン航空のボーイング747SPしか運航していなかった東京-ニューヨーク間の無着陸直行便の運航を開始した<ref>「4196人のスチュワーデス スチュワーデスの本'85」1985年</ref>。1985年には同路線に世界初のファーストクラスとビジネスクラスのみの機材を就航させる他、1982年には、クレジットカードである「JALカード」をテスト発行し、翌年4月からは全国での発行を行うなど、収益率の高いビジネス旅客の取り込みを進めた<ref>「JALグループ50年の航跡」日本航空広報部デジタルアーカイブ・プロジェクト編 2002年 日本航空</ref>。

1984年IATAが発表した1983年度の世界の民間航空会社の輸送実績統計では、旅客と貨物を含めた国際線定期輸送実績で、長年ライバル関係にあったパンアメリカン航空などを上回り世界第1位になった<ref>「エアライン Empires of the Sky」アンソニー・サンプソン 大谷内一夫 訳 早川書房 1986年</ref>。しかし一方で、1982年には機長が故意に墜落させた日本航空羽田沖墜落事故が発生。さらに1985年8月には、ボーイング社の修理ミスが原因で単独機の事故としては世界最大の犠牲者数を出した日本航空123便墜落事故が発生し、これによる利用客の減少と補償経費の増加などによって一時的に業績が悪化した。

なお、この年に「45/47体制」が廃止されて国内ローカル線への就航も可能になったことにより、これまで全日本空輸東亜国内航空に独占されていた国内線路線網も、高収益が見込める羽田空港発の路線を中心に拡大され、同年8月には国内線と近距離国際線用の新型機材であるボーイング767型機などの新規導入や、当時世界最大の客席数を誇り、日本航空のみが運航していたボーイング747-300SRの追加導入を行いこれに対応することになった。しかし同時に、これまで国内線と国際線チャーター便の運航だけしかできなかった全日本空輸や東亜国内航空などの後発航空会社にも国際線参入への道が開かれたことで、さらに日本発の国際線における価格競争が進むことになる。

なお、1951年の設立から長らく半官半民という経営体系であったが、「45/47体制」廃止後の1985年9月には、当時の中曽根康弘首相が進める国営企業や特殊法人民営化推進政策を受けて完全民営化の方針を打ち出し、その後準備期間をへて1987年11月に完全民営化された。民営化後には上記のホテル事業などに加えて教育事業やIT事業、レストラン事業や出版事業の子会社を次々設立するなど、事業の多角化が進んだ。また、日本経済の更なる国際化やプラザ合意後の円高の進行に伴い海外渡航者数が増加することに対応するとして、1980年代中盤以降に、系列会社の日航開発(現JALホテルズ)により、ニューヨーク(エセックスハウス)やメキシコシティホテル・ニッコー・メキシコ)、バンコクビバリーヒルズなど世界各地に急速に自社ホテル網が築かれていった他、大阪や福岡、沖縄や北海道など国内にもホテル網を拡大していく。

またこの頃、同年12月を持って長年同社の主力機として運航されていたダグラスDC-8型機(最後まで残ったのはDC-8-61型機)が全機退役した<ref name="DC-8" />。

(出典:Wikipedia)

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