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しかし1960年8月には、ダグラスDC-8-32型機を太平洋路線に投入したことから、急速に太平洋路線の乗客数が回復した。その後もダグラスDC-8シリーズの増強を続け、翌1961年6月には、これまではエールフランス航空との共同運営だった北回りヨーロッパ線の自社運航を同機で開始し、アンカレジ経由で(ノルウェーのボードーでのテクニカルランディングを行う場合もあった)パリとロンドン、コペンハーゲンへの乗り入れを開始した<ref name="DC-8" />。これ以降、アジアやヨーロッパ、アメリカ各地を中心とした国際線と国内幹線を中心に急速に規模を拡大した。また、日本の高度経済成長に伴う国内、国際航空貨物の急増に対応してダグラスDC-7FやダグラスDC-8Fなどの貨物専用機を次々と導入し、その路線網を拡充していった。
同時に、ビジネス旅客の増加や東京オリンピックの開催による海外からの来日客の増加、新幹線の開通や全日空や日本国内航空などによる国内線の競争激化、1964年に予定された海外渡航制限の解除に伴う海外旅行の自由化による旅行客の増加に先駆けて、1961年9月には中距離用ジェット機のコンベア880を受領し東南アジア線と南回りヨーロッパ線に相次いで投入した他、日本で初めての国内線ジェット便として羽田 - 千歳間に投入した。その後1964年1月にはボーイング727を発注し翌年7月に受領し国内線に投入した。
1964年6月には、や離着陸時の騒音などの超音速旅客機特有の公害問題の存在が明らかになったこともあり、その後多くの航空会社と同様に両機の発注をキャンセルした<ref>「JALグループ50年の航跡」日本航空広報部デジタルアーカイブ・プロジェクト編 2002年 日本航空</ref>(なお、ボーイング2707はその開発計画自体がキャンセルされた)。日本の航空会社で超音速旅客機を発注したのは日本航空だけであった。
1965年1月には、1964年の海外渡航制限の解除に伴い、日本初の海外パックツアーである「ジャルパック」を発売した。さらに1967年にはアジアの航空会社として初の世界一周路線を実現し、同時に、ニューヨーク-ロンドン間の大西洋横断路線を開設した他、航続距離が増大したダグラスDC-8スーパー62の導入に伴い、東京-サンフランシスコ間の太平洋無着陸横断路線やシベリア上空経由のヨーロッパ直行便(モスクワ経由。1967年4月の開設当初はアエロフロートとの共同運航で、同社のツポレフTu-114に日本航空の運航乗務員と客室乗務員が同乗した<ref>「クラシックエアライナーインジャパン」イカロス出版 2005年 ISBN 4871497240</ref>)を開設する。また、当時民間機としては世界最大の座席数を誇ったダグラスDC-8スーパー61を導入し近距離国際線や国内幹線に導入した<ref name="DC-8" />。
1967年にはアメリカ占領下の沖縄にて、地元資本との合弁により沖縄諸島を結ぶ地域航空会社として南西航空(現在の日本トランスオーシャン航空)を設立し、その後の1972年に実現される沖縄返還後の沖縄諸島の民間航空の発展に備えることになる。1969年には日本国内航空から日本航空機製造YS-11型機1機をウエットリース(乗員込みのリース)し、福岡-釜山線に投入し約1年間運航した<ref>「月刊エアライン」イカロス出版 2002年</ref>。
なお、1970年に予定されたボーイング747の導入に合わせて、ナパにも運航乗員訓練センターを開設した。