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1922年に行われた全連邦ソビエト大会で国家樹立が宣言され、ソビエト社会主義共和国連邦が成立した。しかしその僅か2年後の1924年1月にレーニンは死去する。
レーニンの死後、独裁的権力を握ったヨシフ・スターリンは政敵であるトロツキーの国外追放(その後トロツキーは亡命先のメキシコで、スターリンが送り込んだ刺客により暗殺された)を皮切りに、反対派を徹底的に粛清して、自らを頂点とした一国社会主義路線を確立した。
1926年には、ソビエト刑法が成立した。全体主義から罪刑法定主義を排除し、社会主義に有害な行為は全て犯罪となり、犯罪者は刑罰でなく社会防衛処分に付されるとされた。ナチス刑法がこれに類似する。この刑法は1960年に改正されるまで人民に猛威を振るった<ref>中山研一「ソビエト刑法」P.266</ref>。
1928年から行われた第一次五ヶ年計画の中核に置かれたコルホーズが代表する、強引な農業集団化に伴う「クラーク (富農)」絶滅計画や飢饉によって死亡した人数は、推計によって最大約700万人に達する可能性もあると言われている。
無理な農業集団化の強行により、1932年 - 1933年には大飢饉が起こり、500万人とも1,000万人とも言われる餓死者が出た。 特にウクライナにおける飢餓(ホロドモール)は甚だしく、400万人から700万人の餓死者が出た。2006年にウクライナ政府はこの飢餓をウクライナ人に対するジェノサイドと認定している。この「拙速な集団化政策」はウクライナ人弾圧のために意図してなされたものであると言う説も有力である。集団化に反対した人々は、白海・バルト海運河の建設現場のグラグへ送られるなどにより命を落とした。
この頃から世界恐慌により多くの資本主義国が不況に苦しむ中、ソビエト連邦はその影響を受けずに世界最高の経済成長を達成したが、その経済成長は農業を軽視した極端な「超工業化」であり、政治犯や思想犯を中心とした強制労働(実質的な奴隷制度)に支えられていた面もあり、その富は共産党の上層部に集中して配分された。
スターリン時代の大粛清時(ピークは1936年から1938年)には裁判を経ずに、多くの党員や軍人、国民が死刑もしくは流罪などにより粛清されたとされる。この頃には、流罪の受け入れ先として大規模な強制収容所(シベリアのコルィマ鉱山など)が整備された。大粛清による犠牲者数には諸説があるが、当時行われた正式な報告によると、1930年代に「反革命罪」で死刑判決を受けたものは約72万人とされる(但し、過酷な取調べ・尋問の過程で死亡した者や、有罪判決を受けて劣悪な環境下で服役中に死亡した者の人数については正確な統計が残されていないため、その人数を合わせれば犠牲者数は増大すると見られる)。