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1.歴史
1.1.李承晩大統領時代
日韓併合時に日本から伝わった空手は空手道(そのまま日本語読み)、コンスド(空手道の韓国語読み)、タンスド(唐手道の韓国語読み)、拳法など、様々な名称で普及していた。当時の主な道場勢力は以下の通りである。
この分館として下記のものが派生した。
- 吾道館
- 国武館
- 正道館
- 青龍館
- 朝鮮研武館空手道部智道館(1946年 - )
- 館長チョ・サンソク。 柔道道場内に発生。
- YMCA拳法部彰武館(1946年 - )
- 館長ユン・ピョギン。のち智道館と親交が厚くなる。この館の分館として講徳院、韓武館等が挙げられる。
- 武徳館
- 館長黄琦(ファン・ギ)。館長は南満州で朝鮮古武術を学んだとしているが、裏付ける資料はない。鉄道局内のクラブとして発生。唐手道(タンスド)あるいは手縛道(スバクド、手縛は高句麗時代からあったとされる武術)の名で普及。この系統はいまも活動中。
- 松武館(1946年 - )
- 館長ノ・ピョンジク。
=== 「テコンドー」への改称 ===
- 1950年に朝鮮戦争が勃発。臨時政府のあった釜山で「大韓空手道協会」が創立される。1ヶ月後、主導権争いの為か武徳館館長の黄琦が離脱。続いてその1ヶ月後に、青涛館館長の孫徳成(ソン・トクソン)もまた離脱する。
- 1953年に黄琦は独自に「大韓唐手道協会」及び「大韓手縛道協会」の2つの団体を創立させる。また大韓民国文教部(日本で言う文部科学省)体育会で登録を図る。
- 空手道や唐手道では名称がいかにも外国のものなので、それを排するために民族的な名称に統一するのがふさわしいとされ、1954年12月に崔泓煕が中心となった名称制定委員会で、テッキョンの名を模した「テコンドー」の名称が満場一致で決定された。
- 1959年9月に崔泓煕少将が大韓空手道協会を「大韓テコンドー協会」に改称する。ところが1961年、崔泓煕の立場は彼の後輩にあたる朴正煕による軍事クーデターが起きてから、一転してしまう。経済政策に失敗し、当時の李承晩大統領が、1960年の4.19学生革命で国外に追われ、続く1961年の5.16クーデター後、政権が朴正煕が率いる「国家再建委員会」の手に握られる。旧政権関係者であった崔泓煕は、立場上色々と難しくなったのか軍職を退き、マレーシア大使として国外に出国。彼が居なくなった後、国家再建委員会が団体の文教部への再登録を求めたことから、再び統一名称問題が持ち上がってしまう。崔泓煕の政治的豪腕に対する反発からか、各館の館長たちは実は今まで通りの名称を継続していたのである。
- 1961年9月「すでに空手の名称は世界に通用している」と言う事で新たに名称制定会議が開催され、テコンドーのテ(跆)の字と空手の(手)の字を繋ぎ、「跆手道(テースド)」という名称が造られる。組織もまた「大韓テースド協会」に改称される。この時何故か、武徳館館長黄琦が参加している。しかし、やがて独自の運動を始め、1962年8月に智道館のウン・チビュンを伴い、正式脱退する。
- 1965年、韓国に帰国した崔泓煕はテースドに対し、巻き返しの活動を開始。再度テコンドーの名を復活させ、同年8月に「大韓テコンドー協会」と改称し会長に就任。
- 1965年3月18日「統合宣言式」を大々的に開催。黄琦の姿が何故かそこにあった。翌朝、彼は「統合は無効!」と宣言。大韓手縛道会として独自の活動を開始。
(出典:Wikipedia)
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