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5.政権末期、そして暗殺
自分を脅かす者は政敵ばかりか与党の有力者であっても退け、独裁体制を維持し続けていた。1974年8月15日、日本植民地統治から解放されたことを記念する光復節の祝賀行儀に参加していたところ、在日韓国人・文世光に銃撃を受け、朴正煕自身は無事だったものの、夫人の陸英修が頭部を撃たれて死亡した(文世光事件)。なお、この際に用いられた拳銃が、文世光が日本で警察官を襲撃し日本警察から強奪したものであったことや、事件に関与したと見られる朝鮮総連を日本側が擁護し続けたこともあり、日韓両国の政治問題へと発展した。さらに最末期にはしばしば米国と対立していたとも漏れ伝わっている。
釜山・馬山で民主化暴動が起こっていた1979年10月26日、側近のKCIA部長金載圭によって射殺された(10・26事件)。享年61。国葬が執り行われ、遺体は国立墓地顕忠院に葬られている。なお、朴正煕は1985年には自ら下野すると側近に話していたという。
(出典:Wikipedia)
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