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朴正煕-クーデターについて調べるならランキング★モンスターで簡単チェック!!
3.クーデター

1961年5月16日張都暎陸軍中将(当時)を議長に立てて「軍事革命委員会」を名乗り、軍事クーデターを起こす(5・16軍事クーデター)。反共親米、腐敗と旧悪の一掃、経済再建などを決起の理由とした。決起に関する謀議は李承晩が退陣に追い込まれた四月革命の過程と同時進行だったことがわかっている。学生たちが南北朝鮮会談を開こうとする政治的騒乱のなか、軍が突然、政治の舞台に踊り出たことは多くを驚かせた。軍は朝鮮の政治史において例を見ない巨大勢力だった<ref>クーデターによって軍の存在が政治勢力として初めて認識された。軍を政治勢力として捉えるならば、韓国軍は当時において最大であるだけではなく朝鮮の歴史において最大の政治勢力だったと言える。韓国軍はクーデター時に約60万人を擁していた。そのうち53万人が陸軍である。これに比して、韓国併合時に日本によって解散させられた朝鮮軍は6000人でしかなかった。このことは長い李氏朝鮮の歴史において軍備が縮小される一方だったこととも関係している。</ref>。

当時、陸軍少将の階級にあり第2軍副司令官だった朴正煕は、陸軍士官学校第8期生を中心とするグループに推されてクーデターグループのリーダーになった。陸士8期生は解放後はじめて韓国が自前で訓練した軍人たちであり、その中心人物が金鍾泌だった<ref>陸軍士官学校第8期生はそれまでの士官と性格を異にしている。韓国の陸士第1期生から第7期生までは旧日本軍(朝鮮軍)の勤務者と、即席で訓練されて士官になった者たちで編成されていた。これに対して第8期生は1年間の訓練を受けている点、第1期生から第7期生をあわせた数に近い1800人を擁していたという点などで特異な存在だった。陸士第8期生は朝鮮戦争において韓国軍の主要な役割を担い、その後も韓国現代史において大きな影響力をもっていた。</ref>。なお、陸軍士官学校11期生には後に大統領になる全斗煥盧泰愚が含まれている。これら軍人たちには地方の貧困層出身者が多く、彼らの信望を集めていたのが朴正煕であった。

軍そのものの規模に比してクーデターに動員された人員は必ずしも多くはなく、成功もおぼつかないはずだった。クーデターグループたちは軍首脳の懐柔に成功し、後に軍首脳を排除した。クーデターグループは自らを「革命主体勢力」と呼び、戒厳令を布いた。金融凍結、港湾空港を閉鎖、議会を解散し、政治活動を禁止し、張勉政権の閣僚を逮捕した。

政権を奪取した朴正煕は「軍事革命委員会」を「国家再建最高会議」と改称した。自ら議長となり、治安維持と経済改善のためとして国家再建非常措置法を施行した。6月10日には秘密諜報機関・韓国中央情報部(KCIA)を発足させた。7月3日には張都暎を失脚させ軍事政権のトップに立った。これらの権力奪取の過程で軍事独裁政治色を強めていった。これに抗議するデモが頻繁に起きるようになるが、武力で押さえ込んだ。また、腐敗政治家の排除・闇取引の摘発・治安向上を目的とした風俗店摘発なども行い、「ヤクザも敵わぬ朴将軍」と言われるようになる。

その後、政権へのアメリカの支持を取り付けるために訪米することとなり、アメリカ大統領と釣り合う階級を与えるべきとの軍長老の進言に従い大将に昇進した。訪米の往路日本に立ち寄り、11月12日池田勇人首相と会談、早急なる国交正常化で合意した。このとき一部日本語を使って会談したため、韓国内の反日勢力から批判を買うこととなった。訪米ではケネディ大統領との会談を実現した。

(出典:Wikipedia)

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