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朴正煕は、日本統治下の朝鮮の慶尚北道善山郡亀尾(クミ、現在の亀尾市)で、貧しい農村部家庭の5男2女の末子として生まれた。父親は科挙に合格したが、日本によって韓国が併合された後に没落し、墓守をしていた。小学生の頃は、学校に弁当を持って行けないほど生活は苦しく、後世、酒に酔うたびに友人や側近に「俺は本当の貧しさを知っている」と語っていたという<ref>農村部貧困家庭の末子であったことは、朴正煕のメンタリティーを考えるうえで重要な要素である。</ref>。家が貧しいうえに病弱だったが、亀尾小学校を優等で卒業。大邱師範学校を卒業し、慶北聞慶国民学校で3年間教師をした後、日本国籍のまま満州国軍の新京軍官学校で学び、同校を首席で卒業する。優秀な成績のため、特に選ばれて日本の陸軍士官学校に留学した。その後、創氏改名によって高木正雄と名乗った。1944年に日本の陸軍士官学校を3位の成績で卒業(57期)し、終戦時は満州国軍中尉だった。
1946年10月 10・1暴動で兄の朴相煕が共産党幹部として警察に殺害される。大韓民国が独立した後、新たに創設された韓国陸軍に入隊、陸軍士官学校を卒業した後、大尉に任官した。一方で南朝鮮労働党(共産党)に入党し、軍内党細胞の指導者であったことが粛軍運動で発覚して逮捕され、死刑を宣告される。しかし、南朝鮮労働党の内部情報を提供したこと、北朝鮮に通じていることが米軍当局に評価されて釈放された。朝鮮戦争勃発とともに軍役に復帰し、さらに戦闘情報課長から作戦教育局次長へと昇進した。
休戦後の1953年には、アメリカの陸軍砲兵学校に留学した。その後は、1955年7月14日には第5師団長、1957年には陸軍大学を卒業して第7師団長、1959年7月1日には第6管区司令官、1960年1月21日には釜山軍需基地司令部司令官、同年12月15日には第2軍副司令官となった。