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1970年代後半には黄金時代の再来を予感させたヤンキースだが、1980年代に入ると長い低迷期を迎えてしまい、最下位争いをするチームに成り下がる。デーブ・ウィンフィールドなどフリーエージェント権を行使した大物選手に大金を投じるものの、結果は芳しくなく、を最後にワールドシリーズ出場からも遠ざかった。には、ヤンキースの投手アンディ・ホーキンスが、ホワイトソックス戦で被安打ゼロで敗戦投手となる珍事も起きた。ホーキンスはこの試合をずっと無安打で投げてきたが、8回に3人を歩かせた後、次打者のセンターへの当たりを中堅手がエラー。塁上の3人と打者走者が生還し0-4で敗戦するという珍事であった。
、オーナーのスタインブレナーがリーグより、オーナー停職の処分を受けたことから改善の兆しが現れ始めた。上層部からの妨害なしに首尾一貫した監督采配ができるようになるというのも一因であったが、この頃に就任したGMのジーン・マイケル(後にボブ・ワトソン)とバック・ショウォルター監督のもと、ヤンキースのチーム編成方針を、才能を買うことから、ファームで才能ある若手を育てるように変更した。にはその効果が現れ、選手のストライキで期間短縮されたシーズンではあったが、ヤンキースはアメリカンリーグ最高の成績を収めた。翌には、ワイルドカードにより以来となるプレーオフを勝ちあがった。シアトル・マリナーズとの記憶に残る対戦に敗北したが、選手たちに自信をつけさせた。
ショウォルター監督はのシーズン後、オーナーやコーチ陣との確執から退団し、ジョー・トーリ監督に交代した。トーリはそれまでニューヨーク・メッツ、アトランタ・ブレーブスなど3つのチームで計15年間監督を務めながら、一度もプレーオフにすら出場したことがないということもあり、当初は時代遅れの人選であるとの嘲笑を受けた(あるタブロイド紙には「無知なジョー」との見出しが踊ったこともある)。しかし、トーリ監督の落ち着き払った手腕によりついにワールドシリーズに進出し、アトランタ・ブレーブスを第6戦で下して18年ぶりにヤンキースはワールドチャンピオンに返り咲いた。ボブ・ワトソンGMは、にワールドシリーズの連続出場を逃すと退任し、ブライアン・キャッシュマンがGMに就任した。しかしながら、トーリ監督とキャッシュマンGM体制は、基本的には、前任者のマイケル、ワトソン及びショウォルターらの築いてきた基礎によって勝利を獲得したものであり、中でも、デレク・ジーター、アンディ・ペティット、ホルヘ・ポサダ、マリアーノ・リベラやバーニー・ウイリアムスら、ヤンキース傘下のファームで育った生え抜き選手の成長に負うところが大きかった。また、加えてヤンキースは財政面での有利さを生かして、1990年代にも何度も大規模な選手補強を敢行した。ただ、大物選手もいることはいるが、身の丈に合った選手の獲得が主なもので、ポール・オニール、デビッド・コーン、ティノ・マルティネス、デビッド・ウェルズ、大物選手ではウェイド・ボッグスやロジャー・クレメンスらを獲得している。
からの間、1970年代初頭のオークランド・アスレチックス以来のワールドシリーズ3連覇を達成した。1998年とにはそれぞれサンディエゴ・パドレスとアトランタ・ブレーブスを下し、記念すべき2000年には同じ市にあるニューヨーク・メッツと以来となる「サブウェイ・シリーズ」で対戦し、4勝1敗でこれを下した。