ランキングモンスター
11.備考
- なにわ人情コメディ 横丁へよ~こちょ!の群馬テレビ用オリジナル番宣CMがあり、出演している石田靖が「群馬テレビをご覧の皆さん!」と挨拶する。なお、番組は一時期ニューカラオケ大賞が開始されたため休止されていたが、2006年5月より毎週土曜20:00~20:55の枠にて再開された。
- 1989年の昭和天皇崩御の際は群馬テレビとして予定されていた放送をCM含めすべて休止し、オブザーバー加盟していた日本テレビ系列(NNS)が制作した崩御特番を同年1月7日午前から1月8日(正確には9日未明)まで同時ネットした(テレビ神奈川、テレビ埼玉、千葉テレビも同様)。
- 東京都北多摩地区をエリアとするJCOM西東京局が、開局から2001年まで再送信していた。ノイズが多かったものの、当時同局では千葉テレビも再送信しており(こちらも2001年に中止)、とちぎテレビを除く関東地方のすべてのUHF局が視聴可能であった。なお、現在はいちかわケーブルネットワークがアナログ放送で再送信を行っているほか、豊島ケーブルネットワークでは地上デジタル放送のみ再送信されており、こちらもとちぎテレビを除く関東地方のすべてのUHF局が視聴可能になっている。
- 番組ソフト不足などもあって開局から1980年代中ごろまでは主として夕方から夜間のみの放送であった。(朝~夕まではテストパターン映像と音楽放送を実施)その後文字ニュース(読売新聞・上毛新聞記事提供)を開始し放送時間を段階的に拡大したが、1994年3月まで長らく平日の放送開始は朝10時からであった。(独立UHFが発足した当初はこのような短時間の放送を行うテレビ局は珍しくなかった)。
- 独立UHF局としては唯一、高校野球選手権大会群馬県代表の地元校応援実況を実施している。
- 開局は1971年4月で、関東圏の独立UHF局で最も早い。これは、60年代に民放AMラジオの開局を断念した経緯から、テレビ周波数割当て及び免許申請の一本化に際して県政財界が一丸となって働きかけを行ったことが影響している。資金面では群馬銀行の果たした役割が大きく、会社設立後まもなくの増資(第1回1億4,100万円・第2回2億5,900万円)は会社設立~開局まで初代社長を務めた諸田幸一(第8代群馬銀行頭取・第6代全国地方銀行協会会長)の功績によるところが大きい。
- 開局当初は埼玉県北部の視聴促進も行っており、テレビ埼玉開局までは「本庄市政ガイド」の制作、「本庄まつり」の録画中継も行っていた。
- 埼玉県北部から群馬県東部へ延びる超高圧送電線(新岡部線など)の敷設工事が1978~79年ごろ始まる関係で、FM波やVHF(特に1ch〜3ch)の影響が出るため本庄、上里、岡部地域などでVHF(東京タワー)からUHF(榛名山の前橋中継局=群馬県)へ切り替える大規模なアンテナ切り替え工事(費用は東京電力負担)が1978年にあり、同地域のほとんどの世帯に榛名向けUHFアンテナが敷設された。このため同地域では結果的に群馬テレビの視聴の促進がなされたことになり、当該工事終了後「テレビ埼玉は映りが悪いが群馬テレビはきれいに映る」世帯がほとんどとなった。当時は陣見山の児玉中継局にはテレビ埼玉のみ中継局が予定され、在京局の中継局設置予定がなかったことが災いし、このときテレビ埼玉受信は考慮されなかった。このことが2009年現在でも同地域で群馬テレビを見る世帯が多い原因でもある(ちなみにテレビ埼玉の開局が1979年と遅かった事もあるだろう。また、地上波デジタル放送の関係によるエリア是正が行われる可能性もあったが、デジタル放送では在京局の前橋中継局も群馬テレビとほぼ同じ出力になっていることもあり行われていない)。
- 逆に群馬県太田市の一部地域では埼玉の児玉中継局のみにアンテナを向けて群馬テレビを見ていない(見られない)世帯もある。前橋中継局(榛名山)や桐生中継局(茶臼山)が太田金山や唐沢山に阻まれ受信できないため。
- 2007年10月31日に公式サイトが全面リニューアルされた。
(出典:Wikipedia)