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1.太平天国以前
洪秀全は農村の読書人の家庭に生まれ科挙及第を目指していたが、郷試に失敗し、特に25歳の時の3度目の失敗では失望感から病床についている。その病床で老人より現世の妖魔を取り除くべく派遣したとの幻覚を見る。しかし科挙に執着していた洪秀全は6年後の1843年春に再度郷試に臨むも落第した。この時梁発の『勧世良言』の影響を受けた洪秀全は孔孟の書を捨て、キリスト教へ改宗し儒生としての人生に終止符を打った。『聖書』の学習経験のなかった洪秀全は、自らの解釈によるキリスト教の教義として拝上帝教を説き始めた。拝上帝教は入信すれば男女問わず平等であり、男性は兄弟、女性は姉妹とし、ヤハウェを天父、キリストを天兄と称した。これはキリスト教教義との差異が大きく、洪秀全をキリストの弟、ヤハウェの次子とし、人間界に至って神の意思を実行する者としている。
洪秀全は当初広州付近で布教を行ったが成功はしなかった。1844年、洪秀全は馮雲山とともに広西に移動し布教活動を行い、その地での信徒を増やしていった。1845年から1846年の間に洪秀全は『原道醒世訓』、『原道覚世訓』、『百正歌』等の作品を発表している。1847年初め、洪秀全は広州に戻り教会で数ヶ月教義を学習し洗礼を求めたが、教会は教義に対する認識が不十分として拒絶した。洗礼を受けることが叶わなかった洪秀全は再び広西に向かい馮雲山と合流、拝上帝会の規則や儀式を次々と制定していった。勢力を拡大した拝上帝会は、キリスト教と相反する清朝と対立するようになり、1851年1月に起義を宣言し、清朝に反旗を翻した。
(出典:Wikipedia)
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