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太平天国を時期的に区分するのであれば、この天京事変をもって前期と後期に分かつのが妥当といえる。前期太平天国は、洪秀全と楊秀清の二人に運営されていたといってよい。宗教的権威を担っていたのがキリストの弟たる前者で、実務を担っていたのが後者である。通常、両者は君臣関係にあった。
しかし一度楊秀清に「天父下凡」が起きると、両者の立場は「ハレとケ」のごとく逆転し、君主たる洪秀全が臣下の楊秀清に厳しく罰せられるのである。元々「天父下凡」や「天兄下凡」は金田村時期に馮雲山が逮捕され、動揺した信者たちを沈静化するために用いられたのが始まりである。その後清朝に対し決起することを決めたのもこの「天父下凡」の権威によってであった。
ただ当初は軍内部の規律維持や楊秀清独裁に反対する幹部の粛清に使用されたのがほとんどで、天王洪秀全自身に向けたものはまれだった。それが天京に入城すると次第に回数が増えていく。その内容は洪秀全の妾の扱い方から楊秀清に対し洪秀全と同じく万歳を唱えるべし、といったことまで様々である。
表面上、楊秀清に恭順していた洪秀全は遂に彼の排除を決意する。同じく楊秀清に圧迫されていた北王韋昌輝を唆し、1856年9月、早朝楊秀清一族並びに配下の兵たちとその家族約4万人が虐殺された。君主によるクーデターといって良い。しばらく後に天京に入城した石達開はこの内部抗争に激しく怒り、韋昌輝の処分を洪秀全に求めた。しばらくしてその首を石達開の陣営に送り、少しの間、洪秀全と石達開の協力体制がしかれることになる。しかし洪秀全はすでに肉親以外を重用するつもりはなく、石達開は数ヶ月で天京を離脱し別行動を取るようになる。
太平天国は皮肉にも支配領域を安定させた途端、内紛が生じて弱体化し、金田村で決起した時の主要人物は洪秀全一人となった。しかし太平天国がこのまま命運がつきることはなく、石達開らにかわる有能な将軍が幾人も輩出し、もうしばらく存続するのである。