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4.地上の天国、その理想と実情
4.7.外交的側面
太平天国軍が長江下流域を支配するようになると、当時上海に租借地を設けていた西欧列強は座視できないと考えた。キリスト教を信仰する太平天国の台頭を歓迎すべきか、脅威ととるべきか列強内部でも意見が分かれた。そこでとりあえず使節団を派遣することになる。
1853年4月、イギリス公使ボナムは天京に直接出向き、南京条約といった既得権益を侵さぬ限り内戦には干渉せず中立を守ることを洪秀全らに伝えた。しかし太平天国側は列強を朝貢国として遇し、対話は噛み合わなかった。
こうした外交姿勢は中華思想的といえようが、興味深いのは華夷の別は中国的文化の程度によるのではなく、キリスト教の信仰の有無による点である。したがって太平天国にとって近しいのは清朝よりも西欧であった。洪秀全らは西欧を「洋兄弟」と呼び、自身では厚遇していたつもりだったのである。
こうした太平天国側の外交姿勢にイギリス他の列強は失望した。折しもアロー号戦争が列強に有利な形で妥結すると、太平天国よりも清朝に肩入れを開始するようになる。その一つが後述する常勝軍である。
(出典:Wikipedia)
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