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1.歴史
1.4.覚鑁・新義派教学
宗団は、師資相承を重視するために分派していった。事相(真言密教を実践するための作法。修法の作法など)の違いによる分派であった。
教学(教義)そのものは、空海により大成されていたため、平安時代半ばまで、宗内での論争はあまりなかった。 しかし、11世紀末、覚鑁(興教大師)が高野山で秘密念仏思想を提唱した。
また、覚鑁は、大伝法院を創建、教学の振興のために大伝法会の復興を行った。東寺の支配から高野山の独立を図り、東寺長者が金剛峯寺の座主を兼職する慣例を廃止し、金剛峯寺座主に任ぜられたが、金剛峯寺方(本寺方)の反発を受け失敗した。その後、座主を辞して根来山(和歌山県)に隠棲した。
これより、金剛峯寺方(本寺方)と大伝法院(院方)の長く確執が続いた。両派は、古義(古義真言宗)・新義(新義真言宗)に分かれていった。
1290年(正応3年)には、頼瑜が大伝法院を根来山に移し、大日如来の加持法身説(新義)を唱えて、新義真言宗の教義の基礎を確立した。
(出典:Wikipedia)
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