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1999年12月31日正午にテレビ演説を行い、電撃辞任を表明。後継の大統領として、当時首相だったプーチンを指名した。辞任演説では、国民の期待に応えられなかったことの許しを乞いたいと述べ、新しい時代のロシアには新しい指導者が求められていると語った。
その後表舞台からは姿を消し、悠々自適の年金生活を送ったという。プーチン政権については、2004年のベスラン学校占拠事件発生後に知事を大統領による任命制に改めたことに対しては批判をする一方、2006年2月にプーチンはロシアにとって正しい選択だったと賞賛している。同年6月3日、パリで開催されていた全仏オープン7日目を夫妻で観戦し、シャラポワから帽子にサインしてもらう姿が撮られている。くしくもこれが最後の公の姿となった。
2007年4月23日、長年の心臓疾患による多臓器不全(一部報道では心血管不全症とも)によりモスクワの病院で死去。76歳だった。4月25日に救世主ハリストス大聖堂にて国葬が行われ、プーチンはこの日を「国民服喪の日」とすることを宣言した。葬儀にはプーチン、ジョージ・H・W・ブッシュ、クリントンらが参列した。なお、日本からは要人が派遣できなかった<ref>これは26日に安倍総理の訪米が予定されていて政府専用機のスケジュールがふさがっており、かつモスクワへ向かう便の確保が葬儀に間に合わなかった(連絡のあった24日午前の段階で特使を指名し、当該特使が準備を整えて当日のモスクワ直行便へ搭乗することは、時間的制約から困難であったと見られる)ことによるもの。このような経緯から、麻生太郎外相(当時)は後日の閣僚懇談会で小型政府専用機の導入を提唱している。ちなみにロシア側も葬儀に当たって公式な弔問団の招待は一切しないとの表明をしている。ただ、仮に親交があった橋本龍太郎が存命であったならば橋本を特使として派遣していた可能性はある。</ref>。葬儀後、遺体はノヴォデヴィチ修道院の墓地に埋葬された。