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ボリス・エリツィン-ロシアの威勢低下について調べるならランキング★モンスターで簡単チェック!!
4.ロシア連邦大統領
4.2.ロシアの威勢低下

その後、1994年デノミを行うなど経済の混乱が続き、またチェチェン侵攻が失敗した結果、エリツィンの支持率は低下した。さらにエリツィン自身、持病の心臓病の手術による過労がたたり、政権に不安定さが目立つようになる。

1995年の下院選挙ではロシア連邦共産党(ソ連崩壊後に再建)が第一党となるなど、エリツィン反対派が議会の多数を占めた。続く1996年の大統領選挙ではそのロシア連邦共産党のゲンナジー・ジュガーノフ議長に肉薄され、大苦戦。劣勢を逆転させたい一念でアメリカから選挙キャンペーンのプロを呼び、また、テレビカメラの前で若者に混じりダンスを披露した<ref>しかしその後心臓発作を起こしたという。また、このダンスを収めた写真は翌年の1997年ピューリッツァー賞特集写真部門を受賞している。この頃から(各国で報じられて有名な)「酔っ払い」あるいは「白熊エリツィン」と呼ばれるようになった。</ref>。そしてジュガーノフ当選による共産主義の復活を恐れたボリス・ベレゾフスキーウラジーミル・グシンスキーなど新興財閥から巨額の選挙資金を捻出させ、新興財閥支配下のメディアにエリツィン支持のキャンペーンを張らせるなどしてなり振りかまわぬ選挙戦を展開した。その甲斐あってか第1回投票で得票率35.3%の1位につけ、ジュガーノフとの決選投票に持ち込んだ。決選投票の前には、第1回投票で3位につけたアレクサンドル・レベジ退役大将を安全保障会議書記に任命して取り込み、決選投票でエリツィンは53.8%を獲得し結果的に再選を果たした。

しかし大統領選において新興財閥の力に大きく頼ったために第二次エリツィン政権では新興財閥の影響力が増した。また、大統領選前の1995年に株式担保型民営化<ref>政府による財政赤字の補填のため、エネルギー産業などの国営企業が株式を担保に金融機関から融資を受けられるようにした政策。</ref>が行われていたことで、新興財閥は結果として石油産業ほか多くの国営企業を手に入れ、国有資産を私物化するようになっていた。彼ら新興財閥は「オリガルヒ」と呼ばれ、エリツィンの親族とともに「セミヤー」と呼ばれる側近集団を形成するようになる。このような「セミヤー」との癒着によりエリツィン政権は政治腐敗が蔓延していった。

(出典:Wikipedia)

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