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ロシア共和国大統領(任期5年)だったエリツィンはソ連崩壊後も引き続いてロシア連邦大統領としてロシアを主導した。
ソ連の事実上の後継国家であるロシアでは、アメリカとの関係改善が進み(連邦崩壊後も、ソ連時代の全ての核兵器をロシア共和国が所有することをウクライナやベラルーシに認めさせたのは、アメリカの助言によるところが大きい)、1993年には第二次戦略兵器削減条約(START II)に調印。
エリツィンはエゴール・ガイダルとアナトリー・チュバイスに経済政策のイニシアティヴを取らせ、国際通貨基金(IMF)等の国際機関の助言に従い「ショック療法」と呼ばれる急激な市場主義経済導入を図った。しかしこの急激な市場経済への移行は経済に混乱をもたらすことになる。市場経済化への一環として行われた価格自由化は1992年に前年比2510%ものハイパーインフレを引き起こし、民衆の貯蓄・資産に打撃を与えて多くの民衆を貧困に追いやった。また1992年の国内総生産(GDP)は前年比マイナス14.5%となってしまった。エリツィンは同年6月にガイダルを首相代行に指名し、経済改革を推進しようとしたが、このような経済政策の失敗から人民代議員大会から信任を得られなかった。そのためエリツィンはガイダルを解任し、代わりにガスプロム社長のヴィクトル・チェルノムイルジンを首相に指名した。その後、チェルノムイルジンは議会の信任を得、首相に就任した。一方、バウチャー方式<ref>国民一人ひとりに国有企業の株式を与え、自由に売買をさせることで民営化を進める方式。</ref>による民営化も行われたが、これを上手く利用して国有資産だった企業を手に入れ、莫大な富を築き上げる者も出現した。彼らはロシアの新興財閥として政治的にも大きな影響力を及ぼしていくことになる。
また、その過程で発生したアレクサンドル・ルツコイ副大統領、ルスラン・ハズブラートフ最高会議議長ら議会との対立は1993年9月の議会による大統領解任劇に発展。これをみたエリツィンは最高会議と人民代議員大会を強制解体し、両者の対立は頂点に達した。翌10月には反大統領派がたてこもる最高会議ビルを戦車で砲撃し、議会側は降伏した(モスクワ騒乱事件)。その後12月には大統領に強大な権限を与え、連邦会議と国家会議から成る両院制議会、ロシア連邦議会にする事を定めた新しいロシア連邦憲法が制定された。西側の主要国はエリツィンを支持した。