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ウラジーミル・プーチン-政治の世界へについて調べるならランキング★モンスターで簡単チェック!!
3.政治の世界へ

1990年、プーチンはKGBに辞表を提出し<ref>しかしこの時に書いた辞表は受理されなかった。ソ連8月クーデターが発生した直後の1991年8月20日にプーチンが再度辞表を提出すると、今度は受理されたという。</ref>、レニングラード市ソビエト議長だったサプチャークの国際関係担当顧問となった。1991年6月にサプチャークがレニングラード(同年11月にサンクトペテルブルクに名称を変更)市長に当選すると、対外関係委員会議長に就任する。その後、1992年にサプチャークによりサンクトペテルブルク市副市長、1994年3月にサンクトペテルブルク市第一副市長に任命された。サンクトペテルブルク市の職員としてプーチンは外国企業誘致を行い外国からの投資の促進に努めた。またサプチャークの下で陰の実力者として活躍したため、「灰色の枢機卿」と呼ばれた(ロシアでは、陰の実力者に対してこのようなあだ名が付けられることがある)。

1996年にサプチャークがサンクトペテルブルク市長選挙でウラジーミル・ヤコブレフに敗れ退陣すると、プーチンはそれに伴い第一副市長を辞職する。ヤコブレフによる慰留もあったが、結局はそれを拒否した。その後、ロシア大統領府総務局長のパーヴェル・ボロジンによる抜擢で(アナトリー・チュバイス説もある)ロシア大統領府総務局次長としてモスクワに異動した。プーチンはこの職に就任して法務とロシアの保有する海外資産の管理を担当した。1997年3月にはロシア大統領府副長官兼監督総局長に就任した。

1997年6月、プーチンはサンクトペテルブルク鉱山大学に「市場経済移行期における地域資源の戦略的計画」という論文を提出し、経済科学準博士の学位を得る。この論文の内容は、「豊富な資源を国家管理下におき、ロシアの内外政策に利用する」というものだった(この論文に関しては、2007年アメリカの学者が盗作説を主張するも、その後立ち消えとなる)。

1998年5月にプーチンはロシア大統領府第一副長官に就任した。ここでは地方行政を担当し、地方の知事との連絡役を務めたが、後にプーチンはこの職務を「一番面白い仕事だった」と振り返っている<ref>ゲヴォルクヤン、コレスニコフ、チマコワ、前掲、166頁。</ref>。同年7月にはKGBの後身であるロシア連邦保安庁(FSB)の長官に就任。この時、ボリス・エリツィン大統領(当時)のマネーロンダリング疑惑を捜査していたユーリ・スクラトフ検事総長を女性スキャンダルで失脚させ、首相だったエフゲニー・プリマコフのエリツィン追い落としクーデターを未然に防いだ。この功績によりプーチンはエリツィンの信頼を得るようになる。

(出典:Wikipedia)

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