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1952年10月7日、レニングラードにて、父ウラジーミル・スピリドノヴィチ・プーチン(1911年 - 1999年)と母マリア・イヴァーノヴナ・シェロモーヴァ(1911年 - 1998年)とのあいだに生まれる。母は工場などで働いていた。父はソ連海軍に徴兵され、1930年代には潜水艦隊に配属となり、第二次世界大戦では内務人民委員部(NKVD)の破壊工作部隊に所属し<ref>ナタリア・ゲヴォルクヤン、アンドレイ・コレスニコフ、ナタリア・チマコワ 『プーチン、自らを語る』 高橋則明訳、扶桑社、2000年、14-16頁。</ref>、独ソ戦(大祖国戦争)で傷痍軍人となった。戦後は機械技師としてレニングラードの鉄道車両工場で働いた。2人の兄は、いずれもプーチンが生まれる前の1930年代に死亡(1人目は幼くして、2人目はレニングラード包囲戦のあいだにジフテリアで死亡)していたため、プーチンは一人っ子として育つ。プーチンの父方の祖父であるスピリドン(1879年1965年)はプロの料理人であり、ヨシフ・スターリンのダーチャ(別荘)の1つにて給仕しており、それ以前はウラジーミル・レーニンに仕えていた<ref>同上、13頁。</ref>。
プーチンは自伝で少年時代を振り返り、家庭環境はあまり裕福でなく、少年時代はレニングラードの共同アパートで過ごしたと語っている。1960年9月1日に共同アパートと同じ通りにある第193小学校に通い始める。小学生だったプーチンにドイツ語を教えていた教師によると、プーチンは母親似であるが、頑固で勤勉な性格は父親から受け継いでいたという。また、記憶力は抜群で頭の回転も速かったが、問題児で悪ふざけを繰り返していたと証言している。プーチン自身も後に幼少時代は相当な悪童であったと告白している。しかし6年生になると変化し、成績も上がり、ピオネール入団も許可された。この頃にはサンボと柔道も始めている。小学校卒業後、プーチンは化学の中等専門学校に入学した。