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1.経歴
1.2.博士取得まで

大学卒業後の進路としては、公的な仕事に就きたいと望む一方、官僚にはなりたくないと考え、政策金融機関への就職を希望していたところ、日本開発銀行設備投資研究所で初代所長を務めていた下村治にあこがれ<ref>日本経済新聞2009/06/18</ref>、1973年、日本開発銀行(現日本政策投資銀行)に入行。1977年、同設備投資研究所勤務、1981年ハーバード大学ペンシルベニア大学客員研究員。ハーバード大学留学中は設備投資に関する合理的期待の実証研究を行った。1982年大蔵省財政金融研究室(後の大蔵省財政金融研究所)に出向し、次席主任研究官となる。当初2年の予定だったが、行動力がありローレンス・サマーズジェフリー・サックスの知り合いだった竹中を気に入った長富祐一郎次長(元大平正芳総理大臣首席補佐官)の希望で、5年間研究官を務める。長富は、日本開発銀行から研究所への移籍もすすめたが、断る<ref>『文藝春秋』2003年11月号</ref>。

同研究所在籍中の1984年には留学中の研究成果をまとめた『開発研究と設備投資の経済学』(東洋経済新報社 1984年7月)と題す著作でサントリー学芸賞を受賞(ただし佐々木実『竹中平蔵 仮面の野望(前編)』(月刊現代2005年12月号)では当時の設備投資銀行の同僚の鈴木和志氏(現在明治大)や日本開発銀行での同僚高橋伸彰(現在立命館大)の実証分析の結果を無断で使用していた事実が指摘されている<ref name =kamennoyabou>佐々木実「竹中平蔵 仮面の野望(前編)」講談社月刊現代』(2005年12月号)</ref>)。当時の同研究所は、上司として次長(当時)の長富祐一郎や筆頭主任研究官(当時)の吉田和男が、同僚として植田和男高橋洋一がいた創設期の黄金時代であった。

本間正明の誘いで<ref>『文藝春秋』2003年11月号</ref>、1987年大阪大学経済学部助教授に就任。以降研究者としての道を歩む。しかし、母校の一橋大学に前述した論文『開発研究と設備投資の経済学』を提出し経済学博士の取得を試みたものの、「あまりに初歩的すぎる」などとの意見が出て教授会での審査に不合格となる。この教授会の決定について、竹中の指導教官であった山澤逸平(一橋大学名誉教授)は、一橋大の失態であると後年述べている<ref>塩田潮「竹中平蔵の挑戦…政治を目指した学者の軌跡」『論座』2005年</ref>。1994年、大阪大学にて博士(経済学)を取得(論文名『日本経済の国際化と企業投資』)。

(出典:Wikipedia)

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