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5.政争と皇権の動揺
5.3.仲麻呂政権の消長
この間に光明皇后の信任を得た藤原南家の藤原仲麻呂(武智麻呂の子)が台頭、紫微中台を組織して755年(天平勝宝7年)には橘諸兄から実権を奪い、757年(天平宝字元年)には諸兄の子橘奈良麻呂も排除した(橘奈良麻呂の変)。仲麻呂は独裁的な権力を手中にし、傀儡(かいらい)として淳仁天皇を擁立し、みずからを唐風に恵美押勝と改名し、儒教を基本とする中国風の政治を推進したが、今度は孝謙上皇の寵愛を得た僧道鏡が頭角を現し、押勝はこれを除くために764年(天平宝字8年)に反乱を起こして敗死した(藤原仲麻呂の乱)。これにより、淳仁天皇は廃され、淡路に流された。
(出典:Wikipedia)
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