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2.東アジア文化圏と奈良時代の対外関係
2.4.渤海
713年、靺鞨族や旧高句麗人(狛族)を中心に中国東北部に建国された渤海とは緊密な使節の往来がおこなわれた。渤海は、唐・新羅の対抗上727年(神亀4年)に日本に渤海使を派遣して国交を求め、日本に対し臣従するかたちをとった。日本もこれを「蕃国」高句麗の再来としてその朝貢を歓迎し<ref>酒寄 (2002) p.283</ref>、また新羅との対抗関係から、渤海との通交をきわめて重視し、遣渤海使を派遣した。その渤海も、国力の充実とともに日本に対する「臣従」を必要としなくなり、771年の渤海使は上表文が無礼であることを日本に非難された。その一方で渤海使も交易に比重を置くようになり、来日の頻度も増えていった。平安時代初期には完全に変質したものとなり、824年には右大臣藤原緒嗣が「渤海使は商人であるので、今後は外交使節として扱わないように」と言うほどのものとなった<ref>酒寄 (2002) pp.296-305</ref>。
(出典:Wikipedia)