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3.鈴木政権

自民党ではハプニング解散まで引き起こした党内抗争を倦む空気が強かったこともあり、鈴木は「和の政治」をスローガンに掲げた。与党自民党は参議院全国区選挙を拘束名簿式比例代表制に改めた。また、財政収支が悪化していた国庫財政を立て直すため「増税なき財政再建」を掲げ第二次臨時行政調査会(会長土光敏夫)を発足させ、行政管理庁長官に中曾根康弘を充てるなど、後の中曾根行革への道筋をつけることになった。また現職の内閣総理大臣として初めて北方領土と、復帰後の沖縄を視察した。

その一方で、元々社会党から政界入りしたこともあって外交面ではハト派色が強く、1981年5月のレーガン大統領との会談後記者会見で日米安保条約軍事同盟ではないと発言して、外務大臣である伊東正義の辞任に発展した。政策思想的な要因のみならず、首相就任以来、度々発言を修正することがあるなど発言に隙があることもこの問題の一因である。

これらの経緯により対米関係が著しく悪化したため、岸信介らの親米派により倒閣の動きが起こっていたが、総理総裁の地位を脅かすまでには至らず、1982年の総裁選で再選されれば長期政権も視野に入っていた。ところが1982年10月に至って突然総裁選不出馬を表明。田中派の処遇を中心とする党内各派のバランスに苦慮していたことなどが背景にあるとされているが、不出馬の真相は明らかになっていない。

後継の中曽根内閣では、日米軍事同盟路線を強調し対米関係修復に努める一方で、鈴木の党内融和と行政改革推進の方針は継承された。

(出典:Wikipedia)

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