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軍歌-昭和初期について調べるならランキング★モンスターで簡単チェック!!
2.日本の軍歌
2.1.日本の代表的な軍歌
昭和初期

大陸での戦争が始まったため、軍歌が急速に作られるようになってきた。時代に合わせて口語体のものも多少出てきており、また曲は歌謡曲に近いものになってきている。戦局の泥沼化を反映してか、後期には悲壮な曲調のものが多い。レコードの普及に伴い、一般に広がってヒット曲となる速度が非常に速くなっており、数十万枚単位で売れる大ヒット作がいくつも誕生している。

昭和5年に作られた。作者の三上卓は五・一五事件の反乱将校の一人。別名「昭和維新の歌」。二・二六事件後は「反乱をあおる危険な歌」とされ、歌唱が厳重に禁止された。歌自体の完成度の高さもあってか他の軍歌と同じく当時から現代まで愛唱されている名軍歌・革命歌の一つでもある。
「勝ってくるぞと勇ましく〜」の歌詞で始まる、まさにこの時期を体現するような曲。泥沼化を反映した悲壮極まりない曲であり、将兵・民間人の心情に訴えかけ、わずか半年間で60万枚を売った。レコードのA面は「進軍の歌」というものであったが、B面であったこちらのほうがはるかに人気があった。軍歌・戦時歌謡の傑作のひとつに数えられる。のちの太平洋戦争時には、兵士を送るために使われた曲である。
昭和15年の松竹映画「征戦愛馬譜、暁に祈る」の主題歌として作られた。これは陸軍省馬政課が軍馬に対する認識を喚起するためにバックアップした映画だったが、歌詞中で馬をうたった部分が少なく曲調も哀愁漂う旋律だったため、父や兄弟を戦場へ送り出した家族や望郷の思いにかられる兵士達に受け入れられ、映画を離れて広く長く支持された。
昭和7年2月、上海事変において、攻めあぐねていた中国国民党軍陣地に対し、あらかじめ点火した破壊筒を抱き合い鉄条網に突入、爆破し自らも爆死をとげた、久留米第24旅団の江下武二、北川丞、作江伊之助各工兵一等兵の武功をたたえた曲。当時、この武功をたたえる曲を毎日、報知、朝日の3新聞社がそれぞれに公募・発表したが、毎日によるものがもっともヒットした(朝日による公募歌は「肉弾三勇士」という)。なお、毎日が歌詞を懸賞募集したところ与謝野鉄幹が応募してきたため、選者の北原白秋が困り果てて一等当選にした、という余談もある。
昭和12年12月に内閣情報部によって詞曲ともに公募、選定された。作曲者は、軍艦行進曲を作曲した瀬戸口藤吉。レコードは、各社から様々な形で吹き込まれて発売され、売り上げは累計すると100万枚を超える。やはり行進曲の名手の作、曲は非常に評判が良かったが、歌詞は「一般国民が歌うのに難解すぎる」と、一部の文壇や国文学者などからの評判は芳しくなかった。また、歌詞選定を行った北原白秋と佐佐木信綱が、歌詞の手直しをめぐって論争から大げんかになり、両者とも死ぬまで口を利かなかったという逸話もある。
本来は士気を鼓舞するための曲だったが、玉砕を発表する時に使用され、すっかりそちらのイメージで有名になった。現在でも鎮魂歌として使われることが多い。荘重な古歌に上質な曲を組み合わせたもので、非常に格調高く仕上がっている。大伴家持の歌に曲をつけたもの。マッカーサーがフィリピン軍の軍事顧問時代、この歌詞から日本軍の戦闘心理を理解したという逸話がある。
後に硫黄島で戦死する騎兵科出身の栗林忠道陸軍大将がかかわった事で有名。歌詞コンクールをして一等入選だったものに曲をつけた。軽快な曲と、馬に対する愛情がにじみ出ているようなこれぞ騎兵といった歌詞とで人気を博した。
大日本雄弁会講談社(後の講談社)が公募・選定した曲。作詞者が駅に日参して歌詞を作ったとされる。極めて勇壮な歌詞とメロディーに作曲者でもある林伊佐緒の豪快な歌唱も相まってか、この歌の戦後吹き替え版(キングレコード、林伊佐緒:ボニー・ジャックス)は主に街宣右翼御用達の歌として盛んに流されており、ある意味一般での知名度が高い歌でもあり、かつ日本軍歌を代表する曲の一つでもある。
戦線の将兵たちの心情をうたった歌。後に「いやじゃありませんか軍隊は」ではじまる同じメロディーの替え歌「軍隊小唄」としてうたわれ、戦後はザ・ドリフターズも替え歌でうたっていた。
火野葦平原作の同名の映画の主題歌。大変人気があった曲で、現在でも愛唱されている。
帝国陸軍関東軍参謀部が選定・発表した純軍歌。中国戦線で匪賊討伐にあたる兵士の姿を描いている。この歌も雪の進軍と同じくまるで厭戦・反戦歌に聴こえてしまう様な歌ではあるが、日本軍歌のご多分に漏れず軍民双方で愛唱された(しかも尚且つ他の多くの民間製作の歌と違い、討匪行は軍制定の純粋な「軍歌」である)。食事も補給もなく、愛馬も倒れ、時には空を仰ぎながら涙を流し、戦友と生きて再会出来た喜びに歓喜しながらも、それでも黙々と泥濘道を往く様子や、戦死した敵の死体に花を手向けて弔うなど、前線を実感的にあらわしている。作曲者及びオリジナルの吹き込み(創唱歌手)は“我等のテナー”として当時から活躍していた日本を代表する名オペラ・歌謡歌手である藤原義江。
軍神となった加藤戦隊長の名を取って「加藤部隊」として名をはせた精鋭部隊である陸軍飛行第64戦隊の部隊歌。昭和16年公開のニュース映画や、同名の戦争映画(1944年)の大ヒットによって民間にも知られた。曲自体の成立は昭和15年ごろで、南支派遣軍軍楽隊が作曲、部隊の隊員らが作詞を担当した。全体に勇壮な歌詞と曲であるが、5番まであるうち4番のみ旋律が変わり、悲壮な心情をふとうかがわせたような曲調となっている。
(出典:Wikipedia)

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