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3.永正期におきた出来事
- 元年(1504年)
- 2年(1505年)
- 3年(1506年)
- 4年(1507年)
- 5年(1508年)
- 3月17日(4月17日) - 細川高国、澄元に対抗すべく足利義尹・大内義興の連合との合流を目論み、京都を出奔。翌月、足利義澄将軍・澄元派は大内上洛軍との対峙を危ぶみ、近江甲賀郡へ退避。
- 7月1日(7月28日)- 京都帰還を果たした足利義尹、将軍職に再任さる。並びに、高国は管領に、大内義興は管領代に任じられる。のちに義尹は義稙に改名、高国も澄元から剥奪した細川京兆家の家督継承を認められた。
- 三河の設楽郡に長篠城が築かれる。
- 6年(1509年)
- 8年(1511年)
- 8月14日(9月6日) - 足利義澄、将軍復職も叶わぬまま病死。
- 8月24日(9月16日) - 船岡山の戦い。澄元派の一員である細川政賢の京都進攻を恐れて丹波に逃れた将軍 足利義稙が、大内義興らの援助により山城の船岡山に布陣した政賢を破って再入京。澄元は阿波へ退散する。
- 9年(1512年)
- 15年(1518年)
- 8月2日(9月6日) - 幕府管領代の大内義興、本国へ帰還する。
- 16年(1519年)
- 17年(1520年)
- 2月 - 細川高国、仇敵の澄元軍に敗れて近江坂本へ退去。
- 5月 - 朝倉氏・土岐氏・六角氏などの支援を得た高国軍、反撃の京都再攻。澄元は敗れて摂津へ撤退、三好之長は拿捕され自害。
- 6月10日(6月24日) - 細川澄元、生国の阿波勝端城にて死去。
- これにより細川氏の管領職争いが一時的に沈静化する。
- 18年(1521年)
(出典:Wikipedia)
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