ランキングモンスター
1960年代、急速なモータリゼーションの進行によって、特に積雪期の交通渋滞に悩まされていた札幌市では、市内交通の中心だった市電とバスによる輸送が限界に近づいていた。さらに札幌オリンピックの開催が決定し、選手や観客を輸送するためには市電やバスの輸送力では到底対応しきれないことから、高速・大量輸送が可能な新しい軌道系交通機関建設への機運が高まっていった。
市は1964年に『札幌市における将来の都市交通計画』に関する調査書を民間に委託して作成させ、翌1965年から札苗実験場(現東区)でゴムタイヤ方式の試験車両による各種試験を開始した。なお、モノレール、鉄車輪とゴムタイヤを併用するパリ方式、あるいはブリュッセルのプレメトロを参考にした路面電車を都心部のみ地下に潜らせる「路下電車」なども検討された。
札幌市がゴムタイヤ方式に固執した理由は、高速電車と入れ替わりに廃止が予想される市電と同等の利便性を確保するため、高速電車の駅間隔を当初、電停並みの300メートル程度と想定していたことによる。走行実験の開始直後、除雪についての具体策もはっきりしない時期、札幌市の広報誌には、「短い駅間隔での高加減速運転には鉄輪は不向きで、ゴムタイヤこそが最適」との趣旨の記述がある。
当時人口が80万人規模だった札幌<ref>札幌市は、1970年国勢調査で初めて法定人口が100万人を突破した。政令指定都市移行は1972年4月1日。</ref>での地下鉄建設には、運輸省が難色を示していたという。「札幌に地下鉄を作って赤字になったらどうするんだ、熊でも乗せるのか」という運輸省担当者の冗談に、当時の交通局長で後に「札幌地下鉄の生みの親」と呼ばれた大刀豊(だいとう ゆたか)が「料金を払えば熊でも乗せる」と言ったという逸話が残っている。
1967年12月の定例市議会で南北線真駒内 - 北24条間の建設が可決され、直ちに免許が申請された。当時の地方鉄道法には、鉄軌条でも、モノレールでもない「札幌方式」に関する規定がなく、関係省令を一部改正して「案内軌条式鉄道」の項目を設けた上で認可された。日本モノレール協会では、「札幌方式」がモノレールに関する特許に抵触していないかどうか公開質問状を送付し、また調査員を派遣した。