「欽崇天道、永保天命」(『尚書』)。
なお、この元号は平安時代後期仁平4年(1154年)の改元の際にも最終候補に挙げられたものの、当時の左大臣藤原頼長が「天保」を≪一大人只十≫(付き従う臣民がたった10人)と読めるので縁起が悪いと猛反対したために久寿に差し替えられたという故事がある。